クルーグマンの中国通貨政策批判への批判

昨年の12/31に、クルーグマンが中国の通貨政策を批判するop-edを書いた(邦訳はここここ)。そこで彼は、中国の重商主義的な元安政策によって、米国の140万人の雇用が失われる、と批判した。


このクルーグマンの論説を、外交評論家の岡崎久彦氏が批判している(H/T 寝言@時の最果て)。岡崎氏によると、今回のクルーグマンの主張は、かつての彼のマサチューセッツアベニューモデルによる米国から日本への円高圧力を彷彿とさせるという。

こう見てくると、ここにはクルーグマン一流の、市場センチメントを作ってしまおうとする意図が読み取れるように思えます。実は、2割の円高が2年続けば日本の貿易黒字は2割減る、といういかがわしいモデルによって、1995年に日本円が80円超の円高に引き上げられた時も、最初にこれを言い出したのはクルーグマンでした。後にクリントン政権がこれを採用、あるいは採用したと世界が信じたために、実際にそれが現実化してしまいました。

クルーグマンは一流経済学者かもしれませんが、世論が追い詰めていけば、経済は別の現実をとり得る、もしくはとらざるを得ないように仕向けられる、という権力の機制をよく知っているという意味で、政治心理のプロパガンディストでもあると言えるでしょう。


面白いことに、スコット・サムナーも同様に、かつての米国から日本への円高圧力になぞらえてクルーグマンを批判している。

It is misleading to focus on exchange rates. Changing the nominal exchange rate does not eliminate trade imbalances if the underlying forces remain in place. The yen has risen from 360 to the dollar in the 1960s to 85 to the dollar, and they continue to run big CA surpluses. Indeed all the big East Asian economies do, often much larger as a share of GDP than China. And some are relatively open economies, without exchange controls. The reason is simple; these are high saving nations with very low population growth. When Japan was pressured to raise its nominal exchange rate they ended up with deflation, so their real exchange rate remains highly competitive. When the Chinese yuan became overvalued during the East Asian crisis of 1997-98 they did not devalue, instead they experienced deflation until their real exchange rate was again competitive. When the yuan became undervalued in 2005, China experienced rising inflation. Nominal exchange rate changes, by themselves, solve nothing.

TheMoneyIllusion » No, I’m not being paid by the Chinese government

(拙訳)
為替レートに焦点を当てるのは間違いだ。貿易不均衡の根本的な原因が存在する限り、名目為替レートの変更がその不均衡を除去することはできない。円は1960年代の1ドル=360円から1ドル=85円まで上昇したが、日本は巨額の経常黒字を計上し続けた。実際のところ、東アジアの経済大国は皆同様に巨額の経常黒字を計上し続けており、そのGDP比が中国を上回るものも多い。理由は簡単だ:それらは貯蓄率が高く人口の伸びがとても低い国なのだ。日本が名目為替レートを切り上げるように圧力を掛けられた時も、結局デフレに陥り、実質為替レートの競争力は非常に高いままだった。中国の元が1997-98年の東アジア危機の際に割高になった時、彼らは切り下げを行なわず、代わりにデフレを経験した。そのデフレは実質為替レートが再び競争力を取り戻すまで続いた。2005年に元が割安になった時は、中国はインフレ率の上昇を経験した。名目為替レートの変化は、それ自身では何も解決しないのだ。

このサムナーの考え方は、かつての小宮隆太郎氏の趨勢的経常黒字という概念を彷彿とさせる(cf. ここ(のP.S.部分)ここ)。サムナーは、この趨勢的黒字が実質為替レートとリンクしており、さらに両者の下部構造には経済のファンダメンタルズ(貯蓄率、人口の推移など)があると考えている。そのため、名目為替レートを動かしても、ファンダメンタルズが変化していなければ、経済がインフレ率を変化させて実質為替レートを以前と同じに保つ、というわけだ*1


実は、ここで紹介したように、クルーグマンもつい最近同様のことを述べている。即ち、中国が名目為替レートを固定したために、物価がコントロールできなくなる状況を指摘している。
ただ、その一方でクルーグマンは、実質為替レート、ないしそれとリンクしている経常収支を、サムナーほど万古不易のものとは考えていないようである。彼は良く「immaculate transfer」という言葉を用いて、経常収支の変化が実質為替レートの変化と結びついていることを説明している*2。その上で、粘着性のある物価に比べれば名目為替レートは動きやすいので、名目為替レートの変化と経常収支の変化が関連していることを主張する。


実際、クルーグマンの12/31ブログエントリ邦訳)によると、上述のop-edの元安政策による雇用喪失140万人という数字も、まさに経常収支をもとに弾き出している。そこでは、IMFのブランシャール等の予測レポートから、2010-2014年の中国の経常黒字が世界全体のGDPの0.9%であるという数字を引用し、その経常黒字に乗数効果1.5を乗じた1.4%が、そのまま世界経済への負のショックである、と見なしている。さらに、米国も同様の比率で衝撃を受けると考えて、GDPの1%が100万人の雇用に対応するという経験則を適用して、140万人という数字を提示している。


個人的には、中国の経常黒字をそのまま負の要因と見なすような議論はさすがに乱暴過ぎるような気がする。ましてや、為替政策によってそれが消滅できるような物言いをするのは――これまではそうした戦略的貿易政策流の言い方を慎重に避けてきたイメージがあるだけに猶更――クルーグマンらしからぬ、という感じも受ける。


なお、マシュー・イグレシアスは、米国発の不況なのに中国を責めるのはいかがなものか、と指摘している。中国も別に景気が絶好調というわけではなく、金融緩和が行き過ぎているような状況ではない。しかし、大恐慌時の教訓が教えるとおり、通貨を高くすることは金融引き締めに等しい。確かに米国は金融緩和が限界に達しているが、だからといって代わりに中国の金融引き締めで対応するというのは筋違いではないか、というわけである。


ちなみに、サムナーは別のエントリでEconomist記事を引用しているが、その記事では2009年には中国の純輸出がマイナスになったことを指摘している。また、中国の国内需要の喚起の努力は、米国の貯蓄率回復の努力を上回っている、という見方も紹介している。しかし、同時に以下のような不吉な言葉で文章を締めくくっている。

Strong growth in China’s spending and imports is unlikely to dampen protectionist pressures, however. China’s rising share of world exports will command much more attention. Foreign demands to revalue the yuan will intensify. A new year looks sure to entrench old resentments.
(拙訳)
しかしながら、中国の支出と輸入の力強い成長も、保護主義者の圧力を弱めそうにない。中国の世界輸出におけるシェアの増大は、さらなる注目を集めるだろう。海外からの元切り上げ要求は強まるだろう。新しい年では、古い確執が確実に定着するように思われる。

これは、ここでのラジャンの予言「中国とその為替相場についてはこれからさらに騒がしくなるだろう(There’s going to be a lot more noise made about China and its exchange rate)」と同じである。ラジャンはその問題にはあまり係わり合いになりたくない、とも言っているが…。

*1:ちなみにサムナーは、以前の小生とのやり取りで、「中央銀行は実質為替レートを長期的には設定できない(central banks can't set real exchange rates in the long run)」と述べている。ただ、日本のデフレも円高の結果なのだ、という彼の議論については、最近のエントリ(ここここ)で類似の議論について論じたように、些か単純化し過ぎの嫌いがあるように個人的には思う。

*2:追記:正確には、実質為替レートと無関係に経常収支が変動するというような考え方を「doctrine of immaculate transfer(無垢な移転の理論)」として批判している。この言葉自体は、IIEのJohn Williamsonが名付け親との由。