映画の経済学

米国の経済ブログはどこもノーベル賞を取り上げている。特に、Hicksianさんの紹介にあるように、Marginal Revolutionは、かなりのエントリ数をこの件に費やしており、タイラー・コーエンとアレックス・タバロック両者が競うようにして解説を書いている。

そんな中、同ブログの12日の日中のエントリに、一つだけ、ノーベル賞に関係ないエントリが混じっている。書いたのはタバロックであるが、ただしアレックス・タバロックではない。アレックスの弟のニコラス・タバロックである。実は、ゲストブロガーとして期間限定で最近Marginal Revolutionに登場しており、これが3エントリ目となる。

ニコラスの職業は映画プロデューサーである。と聞いて、ああ、あのニコラスか、と分かる人は映画通の中でもそうはいないだろう。兄アレックスの紹介でも、インディペンデント系で、まだヒット作やアカデミー賞とは無縁、と書かれている。IMDBのページはこちら


彼の最初のエントリは10/7付けで、次のような疑問を投げ掛けている。

One interesting thing that I've always found about the film business from an economic point of view is that unlike in any other business I can think of, the cost of manufacturing the product has no affect on the purchase cost to the consumer.

自分が作るような低予算のインディ系の映画も、大手製作会社の大作映画も、映画料金は皆同じなので、インディ系は集客に苦労する、とのことである。

シーグラムがユニバーサルを所有していた時*1、オーナーのエドガー・ブロンフマン・ジュニアは、映画によって料金を変えることを検討したが、映画界の反応は冷ややかなものだったとのことである。ニコラス自身は、そのアイディアは悪くないと個人的に思っているとの由。
このエントリはFree exchangeでも取り上げられた。そこでは、予算と需要が比例するわけではないと指摘すると同時に、需要に応じて料金を切り下げるのはありかもしれない、と書いている。


10/9の2番目のエントリは、経済とは離れた少し砕けた話題で、ハリウッドではちょっとした知り合いも「友達(friend)」と呼ぶのに戸惑った、とのことである(タバロック兄弟はカナダ出身らしい)。


そしてノーベル賞騒ぎの中のややKYなエントリとなった3番目のエントリでは、なぜ映画スターは一方で大作映画で高額のギャラを貰いながら、もう一方で安いギャラでインディ系の映画に出るのだろう、という疑問を投げ掛けている。いや、俳優自身に、少し羽根を伸ばしたいとか、芸術映画に出てみたいとか、冒険してみたいといった理由があるのはニコラスも十分に理解している。彼がここで不思議に思っているのは、大手スタジオ側の対応である。大手スタジオが払うギャラを決める場合、そうした小さな映画への出演料はまったく考慮要因とならない。これは一物一価の原則に反するのではないか、というのが彼の疑問である。
これについては、コメント欄で、いや別に不思議でも何でもない、高報酬を手にする大企業の重役が無報酬でNGOの役員を務めるようなものだ、という指摘が何件かなされている。
私見では、確かにコメント欄での指摘のような見方もあろうが、ただ、低予算映画も別に慈善事業が目的ではない。場合によっては大化けしてメジャー映画を食うことさえある。また、以前はスターをスタジオが囲い込んでおり(日本で言えば悪名高い五社協定)、現在のようにスターが気軽に低予算映画に破格のギャラで出演することは考えにくかったと思われる。そう考えると、ニコラスの疑問はもう少し追究する価値がありそうな気もする。

*1:シーグラムは松下から買った