少し前の話だが、本石町日記さんが服部正也氏著「ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書 290)」*1を読んで非常に面白かったというエントリを上げていた。
実はこの本を小生も持っていたのだが、これまで本棚の奥にしまったままだった。それを今回ふと取り出して読んでみたのだが、確かに面白い。最後の離任のシーンなどは、冒険ダン吉のラストシーンを彷彿とさせた*2。ネットで検索してみても、この本に素直に感動したという感想がいくつも見られる。
ただ、そうした物語的な面白さもさることながら、この本には現代の経済学者、特に国際援助や成長論を論じる経済学者に取って非常に意義のある内容が含まれているのではないか、と思った。現在のその分野では、ローマーとルーカスが内生的成長論を発展させ、スティグリッツがIMFの画一性を批判し、サックスが先進国によるアフリカ援助を唱導し、そのサックスの大上段をイースタリーが批判する、という傍目には何が何だか良く分からない状況にある。そんな中、実は40年以上も前に、IMFから中央銀行総裁として送り込まれた日本人が、アフリカの内陸部の独立後間もない典型的なバナナ共和国のマクロ経済を建て直した、というのは、ある意味、シュールにさえ思える出来事である。一体なぜそれが可能だったのだろうか? そこから得られる教訓は何なのだろうか? できればこの本を英訳して、開発関係の経済学者に送り付けたい気もする。
とりあえず、読み終わって間もないうちに、服部氏の送り込まれたときのルワンダの状況ないし問題点と、その問題点ひとつひとつに対する服部氏の対応をまとめてみよう、と箇条書きに書き出してみたのが以下である。
<当時のルワンダの問題点>
- 二重為替レート
- 公定レート(1ドル=50フラン)と自由レート(1ドル≒100フラン)の二本建て
- 収入を公定レートでドルに換金できる者は、自由レートで現地通貨に戻す
→収入増加、同時に実質税率を引き下げ - 自由レートへの規制を厳しくすると闇レートが発生する恐れ
- 輸出産業が乏しい
- 2.の帰結としての外貨不足
- 外貨割り当ての優先順決定の必要
- それに伴う一部の者への特権の発生(1.の操作による税率低減)
- 商業銀行が一つしかない
- 商業(流通、鉱工業含む)部門も外人が握っている
- しかも多くは特権にあぐらを掻いており、実際の競争力は乏しい
- 内陸国で海外へのアクセスが限られる
- しかも近隣諸国との仲も良好ではない
- 政府部門における人材の不足、外人テクノクラートへの依存
- だが、旧植民地時代から継続して働いている外人は、質の低い者も多い
- 現地人の外人へのコンプレックス
- 反政府勢力の存在
- 亡命勢力による時折りの武装襲撃
<上記の各問題点に対する服部氏の施策>
- 適正な新平価(1ドル=100フラン)での為替レートの一本化
- 均衡財政がIMFの条件
- 関税率を上げ、それまで暴利を貪っていた輸出入業者の利益を吸収
- 平価切下げの影響を抑えるため、一部商品の物価を統制
- 輸出に頼るのではなく、農業国として国内経済を強化
- 輸出産業については以下の手を打つ
- 一次産品市況を予測し、最悪の場合でも維持可能な生産者価格を決定
- 旧宗主国の企業に経済安定をアピールし、鉱山操業の継続を依頼
- 捕捉が難しい直接税に頼らず、間接税を中心とする税体系へ
- 輸出入産業優遇のために農民からの徴税に偏っていた税収構造を改める
- 輸出産業については以下の手を打つ
- 経済が成長すれば、外貨不足は問題にならない
- 輸入を自由化(ただし輸入価格の適正チェックだけは行なう)
- 中央銀行の権限で、商業銀行に対する必要な施策の強制適用も辞さず
- 輸入の自由化をはじめとする特権の廃止で競争原理を導入
- 欧州系の輸入業者の独占構造に風穴
- 利に敏い印僑や現地人の商人が伸張
- 現地人が近隣諸国と従来密輸として行なっていた小規模貿易を合法化
- 欧米や日本との取引はやはり現地人の商人にはまだ難しい
- しかし近隣諸国との取引ならば可能
→小額の外貨については規制を撤廃し、現地人による輸出入を容易に
- 業務を通じて現地人のテクノクラートを育成
- 応援部隊を日本からも呼び寄せる
- 国内のコミュニュケーションを充実
なお、前述の通り、この本に関するブログエントリは数多存在するが、目に付いたものをざっと紹介しておく。
- ずんちゃか株式投資雑記帳
- 本石町日記さんのエントリのきっかけとなったエントリ
- Foomin Paradise
- 内容の紹介と同時に、「まえがき」に書かれた服部氏の執筆の動機にも触れている
- 国際協力マガジン
- 服部氏のプロとしての姿勢に注目
- 山川惣治の世界
- 小生とはやや異なる視点で服部氏の政策を8箇条にまとめている
そのほか、服部氏のWikipediaの項や、amazonのカスタマーレビュー、前述の書名のはてなキーワードリンクでの「「ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書 290)」を含むブログ」も参照されたい。
中でも、このエントリの以下の指摘は、冷や水を浴びせられたようではっとすると同時に、ずっしりと来た。
われわれは結末を知っている。この体制が最終的にどこに至るかを知っている。そこで服部のルワンダの記述の中にジェノサイドの芽を探そうとする。しかし、そうした期待は完璧に裏切られる。
たとえば『ジェノサイドの丘』ではツチ族に対する虐殺を指図することでようやく支持を得ている退屈な指導者として描かれていたカイバンダ。だが本書ではルワンダ人の福祉を願う英邁な大統領としてたち現れる。以下は大統領の発言の1つである。
私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福を願ってきたし、独立ルワンダにおいては、ルワンダの山々に住むルワンダ人が昨日より今日の生活が豊かになり、今日よりは明日の生活が豊かになる希望がもて、さらには自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待を持てるようにしたいと考えている。私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリに住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。
大統領のほかの発言や政策上の判断も上の発言と一貫しており、単に調子のいい御題目を述べているだけではないと感じさせる。また蔵相ら、ほかの政府高官も総じて高潔な人柄をみせている。
また上記1963-64年の虐殺だが、服部の記述では「ルワンダ国内ではこの侵攻軍を手引したと思われる分子の粛清が行われ、多数の人が殺された」とそっけない。
ここで『ジェノサイドの丘』か『ルワンダ中央銀行総裁日記』のどちらが間違っているとかいう結論を出したいわけではない。カイバンダの発言中のルワンダ人がフツ族を指していると考えればそれほどの矛盾はない。ただ、ジェノサイドが起こったあとでルワンダ史を振り返れば、カイバンダ一派が独裁が目的の悪党の集まりであると考えることは自然で、まさに「そうであるべき」ことのように思える。だが服部が赴任した時点でのルワンダは、少数派独裁を覆した大衆革命を経て独立を成し遂げた国としての生き生きとした顔を見せている。本書を読み終えて思ったのは歴史を語ることの難しさと、服部とルワンダ人の国家建設への努力が輝かしいだけに強烈に感じるやるせなさだった。
その点では、経済学の実地での成功と謳われつつも、一方でチリの残虐な独裁政権を支えたとも指弾されるシカゴ・ボーイズ*4と共通する課題を抱えた話なのかもしれない。
ちなみに上記のブログ主のGomadintimeさんは、こちらでルワンダの虐殺に至る歴史について優れたまとめも書かれている。
また、1994年の虐殺に関する資料といえば、こちらで国連人権委員会のサイトに掲載された報告書の部分訳が掲載されている。
これらを読むと、1980年代から90年代にかけて、一次産品であるコーヒーの価格暴落や、スズ鉱山の全面閉山、旱魃といった出来事がルワンダを襲い、それに対応するためのIMFの構造調整政策を完全に実現できなかったという経済的状況が、1994年の悲劇へとつながった少なからぬ要因のようである。もしこの時に服部氏がルワンダの中央銀行総裁として現場にいたとしたら、果たして流れを変えることができただろうか、と考えずにはおられない。より具体的には
- これだけ悪条件が重なったら、服部氏といえども経済立て直しは無理だっただろうか?
- IMF援助取得のために必要な施策の実施について、カイバンダ大統領と同様にハビャリマナ大統領を説得できただろうか?
- 仮に経済をもう少しまともな状態にできたとしても、虐殺は止められなかっただろうか? 実際、服部氏が赴任していた1965-71年の期間中も紛争は絶えなかったわけだから、経済的状況の改善策が人種間紛争を抑える効果はやはり限られるのだろうか?
- そもそも30年後にこういった事態に至ったということは、服部氏の改革は結局は失敗だったということだろうか? それとも取りあえずこういった事態に至る前にルワンダが成し遂げた経済成長を考えると、やはり成功だったと言ってよいのか? もし服部氏の改革が無ければ、もっと前にあのような悲劇が起きていたのだろうか?
といった疑問が頭に浮かぶ。もちろん、いずれも簡単に答えの出るような問いではないのだが…。