すばらしい新世界・その3

昨日は、経済学の今後をテーマとしたIMFコンファレンスに対する反響の一端を紹介した。正確に言うと、それらは、主催者の一人であるブランシャールによるまとめへの反響という側面が強かったが、今日は、やはり主催者の一人であるデビッド・ローマーによるまとめIMFブログでのゲストエントリ)を紹介してみる(Economist's View経由)。


ローマーはまず、コンファレンスの参加者が、今後数年間の先進国経済の見通しが暗いことにあまり触れなかった、と不満を述べている。避けられたはずの莫大な苦痛と無駄が目の前に存在するのに、2008年末当時の危機感が薄れて自己満足に陥っているのは理解できない、と彼は言う。


また彼は、コンセンサスは存在しないというコンセンサスがコンファレンスでは得られた、と述べている。ただし、幾つかの特定のテーマについては、全員一致と言わないまでも、概ねの意見の一致が見られた、とも述べている。彼が挙げる合意が見られたテーマとは、次の通り。

  • 情報の非対称性、エージェンシー問題、行動の力学といった要因が働くため、金融市場が常に効率的な結果を生み出すと期待することはできない。また、優れた着想に基づき、優れた形で導入されたミクロ経済的規制を以ってしても、金融市場の不完全性が悪しきマクロ経済的帰結をもたらすことは防ぎきれない。従って、「マクロプルーデンシャル規制」、即ち、マクロ経済への金融リスクに対する規制監督が必要である。
  • “単なる”財政乗数という概念は意味が無い。財政政策の変化の影響は、金融政策が反応できるかどうか、および、反応できるとしたらどのように反応するか、に大きく依存する。また、その影響は、経済の状況、金融システムの健全性、変化の期間、その変化の形態、などに依存する。
  • 資本規制はマクロ経済政策の手段の一環となるべきである。資本規制に懐疑的な論者でさえ、急場しのぎの方策としては意味を持つ状況が存在することを認めている。それ以外の者は、為替相場の大幅な過大評価を招くような大規模な短期の資金の流入に対する完全に適切な対処方法だと考えている。
  • 「一つの手段、一つの目標」(手段=短期金利、目標=インフレ率、もしくはインフレ率と産出ギャップの加重平均)という単純な金融政策観は、あまりにも単純過ぎる。手段は他にもあるし(為替市場介入、資本規制、証拠金規制、頭金規制、自己資本規制、等々)、目標となり得るものも他にある(特に為替相場と金融リスク指標)。
  • 一国の中央銀行(とりわけFRB)が世界各国の中央銀行に対する主たる緊急の流動性供給者となること――2008年にはスワップラインという形でそうした状況が出現した――は、最適の状態とは言えない。国際機関がそうした役割を果たす仕組みを見い出すことが望まれる。