政府は消費しない、人々が消費するのだ

ティーブン・ランズバーグの月曜日のブログエントリ邦訳)が各方面から袋叩きに遭っている。

Marginal Revolutionのアレックス・タバロックは同エントリを支持しているが、デロングノアピニオン氏クルーグマン、Modeled BehavoirのNiklas Blanchardが一斉にその問題点を論っている。


ここで問題になっているのは、(道草の邦訳に対するtwitterコメントでも指摘されている通り)政府が死に金になっている資産を税金の形で徴収して消費すれば、必ず他の消費者が割りを食う、というランズバーグの議論である。これに対する各者の批判を乱暴にまとめてしまうと、ランズバーグは、投資も輸出入も捨象した需給が常に均衡している静学的経済を前提にしているが、それはあまりにも非現実的ではないか、というものである。とは言え、ランズバーグの議論ではそうした単純なモデル経済が前提になっているのが常なので、そうした批判とそれらに対するランズバーグの反応も、またいつもの噛み合わない論争か、という感が個人的には拭えなかった。


ただ、今回の論争では、政府の役割に対するランズバーグ(とタバロック)の認識不足が浮き彫りになったのが興味深かった。その点についてはデロングが以下のように端的に指摘している。

...we are the government. When the government consumes more goods and services, we consume them.
(拙訳)
・・・我々が政府なのだ。政府が財とサービスの消費を増やす時、我々がそれを消費しているのである。

これに対し、タバロックはエントリの追記でこのデロングの指摘を拾って、納得しかねるという反応をしている。


なお、このデロングが指摘した点については、Niklas Blanchardがもう少し詳しく解説している。

But I think there is a deeper fallacy that Landsburg’s experiment falls into, and that is the myth of government as consumer. It is very common to hear in right-wing (usually non-economist) circles that the private sector produces wealth, and that the government produces nothing, it only consumes wealth that is generated in the private sector. The fact is that the state produces the exact same amount of wealth as the market. That is none at all.

The fact is people produce wealth, and people consume wealth. The state and the market are simply institutions which people have arranged to coordinate production and consumption.
(拙訳)
ランズバーグの思考実験が陥っているもっと重大な誤謬は、消費者としての政府の神話にあるように思われる。右派の(大抵は非経済学者)の陣営からは、民間部門が富を生み出すのに対し、政府は何も生み出さず、民間部門で創り出された富を消費するだけだ、という話を良く聞く。実際には、国家は市場とまったく同量の富を生み出す。それはゼロである。
現実に起きているのは、人々が富を生み出し、人々が富を消費する、ということである。国家と市場は、人々が生産と消費を調整するために作り上げた機構に過ぎない。

ちなみに、こうした政府消費の話については、ここの政府最終消費支出についての解説が参考になろう。


一方、クルーグマンは政府の支払い能力の確保という観点からの指摘を行っている。

There are multiple things wrong with this claim, but the most fundamental, I think, is that it represents a remarkable misunderstanding of the reasons why we have taxes in the first place. They don’t primarily exist as a way to induce lower private consumption, although they may sometimes have that effect; they are there to ensure government solvency.
(拙訳)
この(ランズバーグの)議論には多くの誤りが存在するが、私の見たところ、最も根本的な誤りは、そもそも税金が存在する理由を完全に誤解している点にある。税金が民間消費を低めることがあるにしても、それを主たる目的として導入されたわけではない。税金の存在理由は、政府の支払い能力の確保にあるのだ。

そして、最後にはクルーグマンらしく以下のように痛烈に締めくくっている。

Discussions like this really disturb me; they indicate that there are a lot of people with Ph.D.s in economics who can throw around a lot of jargon, but when push comes to shove, have no coherent picture whatsoever of how the pieces fit together.
(拙訳)
こうした議論には本当に当惑させられる。こうした議論は、経済学の博士号を持っていて数多くの専門用語を繰り出すことのできるのに、少し突っ込んだ話になると、整合性のある全体像をまるで描けない人々が大勢いることを示している。