この夏のdisサマーズ

クルーグマンが一連のブログエントリで次期FRB議長にイエレンを推す*1と同時に、陰に陽にサマーズをdisっているのが面白いので以下にまとめてみる。


まず、「Memories of 1998」と題した7/26ブログエントリで以下のように書いている。

As The War of the Fed Succession heats up, I thought it might be of some interest to recall this incident.
(拙訳)
FRB議長の後継を巡る戦いがヒートアップしている今日この頃、この一件を思い出すのも一興であろう。


「この一件」でリンクしているのは2009/3/2ブログエントリだが、その中には以下の一節がある。

I have a bit of personal history here — and it has some bearing on broader economic policy issues right now. Back in 1998, in the midst of the Asian financial crisis, I came out in favor of temporary capital controls; a bit about that here. At the time it was regarded as a horribly unorthodox and irresponsible suggestion — and I had a long, very unpleasant phone conversation with a Senior Administration Official who berated me for my anti-market ideas.
Today, that wild and crazy idea is so orthodox it’s part of standard IMF policy.
(拙訳)
この件に関してはちょっとした個人的ないきさつがある。そしてそれは、現在のより広範な経済政策の問題にも関係している。1998年のアジア金融危機の最中、私は一時的な資本規制に対し賛意を表した(その話についてはこちらを参照)。当時、それは恐ろしく異端かつ無責任な提案と見做された。そして私は、その反市場的な考えの咎で私を非難する政府高官と電話で非常に不愉快な長話をする羽目になった。
今日では、その乱暴で馬鹿げた考えは、IMFの標準的な政策の一部となるほど正統と見做されている。

この文脈でこのエントリにリンクしたということは、その「政府高官」がサマーズであることは明らかだろう(当時サマーズは財務副長官)。


次いで7/31エントリでは、クルーグマンが日頃から嘲笑混じりにVSP(Very Serious Person=非常に真剣な人々)と呼ぶ人々の一員にサマーズはなろうとしているが、それは彼のFRB議長候補としての魅力をむしろ損なっている、と指摘している。クルーグマンに言わせれば、かつてはVSPであることは権威の証だったが、今やVSPは左右両派にとってむしろ重荷になっているという。右派では、共和党のVSPがポール・ライアンを筆頭にいかさま経済学の虜となっている。左派では、VSPがあらゆる点――金融規制緩和のリスクから非実在債券自警団に至るまで――について過去十年以上に亘って間違えてきたことを民主党の大部分が認識している。そうした状況下でロバート・ルービンの再来という衣を纏って現われるのは――あるいは2008年位までならば効き目があったかもしれないが――今や有害無益だ、サマーズは学界の寵児だからそうした政界の変化に疎いのだろう、とクルーグマンは皮肉る。
また、クルーグマンは、サマーズが金融政策について発言しないことは慎重なようでいて実は間違いだというニール・アーウィン指摘、過去の過ちについて謝罪しないことは威信を保つようでいて反省の欠如と受け止められるというジョン・キャシディの指摘にリンクし、同意を示している。


この反省の欠如についてクルーグマンは、さらに2005年のジャクソンホールの一件を持ち出し、考えが左派であるにも関わらず左派に信用されていないのはそうしたことが原因、と8/1エントリで論じている。
ちなみにこの8/1エントリは、デロングの「Why Does America's Left View Larry Summers as a Right-Wing Hyena?(なぜ米国の左派はラリー・サマーズを右派のハイエナと見做しているのか?)」という7/31エントリを受けたものであるが、このクルーグマンの反応に対しデロングは、

Paul Krugman Wishes Larry Summers Would Give a Big Speech About Financial Regulation and Systemic Risk: What He Thought in 2005, Why He Thought It, and How His Thinking Has Changed
It would, I think, be a very good idea.
(拙訳)
ポール・クルーグマンはラリー・サマーズが金融規制とシステミック・リスクについて一大演説を打つことを望んでいる:2005年に彼がどう考えたか、なぜそう考えたか、そしてそれから考えがどのように変わったかについて、だ(訳注:これはエントリタイトルの後半)
それは非常に良い考えだと思う。

と素直に同意している*2


なお、クルーグマンがサマーズよりイエレンを推すのは、よりハト派であることが主な理由であるが、その点についてデロングは、8/2付けクルーグマンのNYT論説を紹介した8/2エントリで次のように書いている。

May I point out to Paul Krugman that Larry Summers and Janet Yellen are, in my experience, equally unwilling and unlikely to "to prove their seriousness by doing what doesn’t need to be done, at the public’s expense" and "talks a lot about the need to make tough decisions, which somehow always involves demanding sacrifices on the part of ordinary families while treating the wealthy with kid gloves"?

Maybe Larry believes slightly, slightly more in labor-force upgrading in a high-pressure economy than Janet; and maybe Janet believes slightly, slightly more in the power of quantitative easing than Larry; and maybe Larry is slightly, slightly more worried about the distortions and systemic risks created when you try to compensate for lack of demand caused by a blocked credit channel by pumping-up demand for long-duration assets.

But these differences between them are fourth significant figure differences…
(拙訳)
私の経験から言えば、ラリー・サマーズとジャネット・イエレンは、「やらなくても良いことを一般国民の犠牲の上でやることによって真剣さを証明する」ことや「なぜか普通の家族に犠牲を要求する一方で富裕層の子供たちには優しい困難な決断の必要性について大いに語る」ことに同じくらい抵抗し、共にそうしたことをしないであろうことをポール・クルーグマンに指摘しても宜しいでしょうか?
あるいはラリーは、高圧経済で労働の質が改善することをジャネットよりもほんの少しばかり強く信じているかもしれない。そしてジャネットは、量的緩和の力をラリーよりもほんの少しばかり強く信じているかもしれない。そしてラリーは、信用経路が詰まったことによる需要不足を長期デュレーション資産への需要を底上げすることにより補填することがもたらす歪みやシステミックリスクにほんの少しばかり強い懸念を抱いているかもしれない。
しかしそうした両者の違いは有効数字の4桁目程度の違いに過ぎない…

普段はネット論壇でクルーグマンとタッグを組んでいるデロングだが、このFRB後継レースの件に関しては、そのクルーグマンとのタッグとサマーズの「股肱の臣」としての立場との板挟みになっている様がブログから窺えるのが面白いと言えば面白い。

*1:そもそもイエレン以外の候補を挙げたのはホワイトハウスの間違いだ、というのがクルーグマンの立場である。

*2:ここで紹介したように、3年前にデロングは2005年のジャクソンホールの件についてサマーズ擁護の論陣を張ったことがある。