フェリックス・サーモンが、サイモン・ジョンソン&ジェームズ・クワックのデモクラシー誌記事を受けて、良い金融イノベーションと悪い金融イノベーションについて書いている。俎上に乗せたのは以下の3つの金融イノベーションで、それらについてサーモンはジョンソン&クワックの論説に異を唱えている。
- 証券化
- CDS
- ジョンソン&クワックは以下の点でCDSを悪いイノベーションと評している。
- それに対し、サーモンは以下の点でCDSを擁護する。
- CDS自体がリスクの過小評価をもたらしたわけではない。CDSはあくまでも信用リスクの尺度であったに過ぎない。
- CDS市場の歴史を通じて、CDSのベーシスは概ねプラスだった。つまり、債務不履行を保証するコストは、該当債券のスプレッドを上回っていた。債券を買うと同時にCDSで保証することにより無リスクで収益を上げられる状態ではなかったわけだ。
- 従って、もしCDS市場がリスクを過小評価していたというならば、債券市場はより一層過小評価していたことになる。
- マイナスのベーシス取引が可能になったのは、信用市場が崩壊した後に過ぎない。従って、CDSのマイナスのベーシスが危機の原因だったと言うことはできない。
- 後から見れば、AIGがリスクを過小評価していたのは確かだ。しかしそれはCDS市場の全般的な構造とは無関係。AIGの問題点は、ひたすらCDSを売る側に回り、一切買わなかったこと、および、そのポジションに本来必要な担保の差し出しを、自社のトリプルAの格付けを利用して逃れたことにある。
- ジョンソン&クワックが提唱するCDSの標準化には賛成するが、それによってカスタマイズ化されたCDSより規制が容易になるかどうかは疑問*1。問題はカスタマイズ化にあったのではなく、移ろう市場の中でネットのポジションの手綱を引き締めることにあったので。今は市場が、CDSを手放し古き良き債券を選好することにより、自分でその方向に動いている。
- 金融教育
ちなみに以前のエントリで、ロドリックの問いに答えてスティーブ・ワルドマンが良い金融イノベーションと悪い金融イノベーションについて書いたことに触れたが、ワルドマンはそこで、良い金融イノベーションを次のように定義している。
Good innovations:
- Are transparent, investors can understand what they are investing in.
- Are expressive, that is they increase the range of widely dispersed information that investors can impound into an investment decision.
- Are compartmentalized, the parties upon whom the costs and benefits of the investment decision fall are well-defined, and these parties accept and are capable of bearing the risks they have chosen without external support.
(拙訳)
良い金融イノベーションとは:
- 透明で、投資家が自分が何に投資しているか理解できること。
- 開示的であること。つまり、投資家が意思決定に使えるような多様な情報の幅をさらに広げること。
- 区分が明確であること。投資決定の費用と恩恵を蒙る主体が明確に定義されていて、かつ、その主体はそれに伴うリスクを外部の助けなしに引き受ける意志と能力を備えていること。
このワルドマンの定義に照らしてみると、確かに証券化は良い金融イノベーションとは言い難いように思われる。
また、ワルドマンは同じエントリで、悪い金融イノベーションの特徴として複雑さを挙げると同時に、「洗練された投資家(sophisticated investors)」について痛烈な皮肉を放っている。
Complexity is much more often a marker of snake-oil than of quality in a financial instrument. "Sophisticated" investors are almost always predators or fools. The real-world informational problems investors face — what is it that should be done? how ought our resources be deployed? — are challenging enough. Creating structures that cannot be understood except by applying complex models that may or may not adequately capture the behavior of the instrument is just idiocy, a mish-mash of quant hubris and pseudoscientific salesmanship.
(拙訳)
複雑さは、金融商品の質の証というよりは蝦蟇の油であることの証だ。「洗練された」投資家というのは、ほとんどの場合、略奪者か阿呆のどちらかだ。現実世界で投資家が直面する情報の問題――何がなされるべきか? どのように自分たちの資源を配分すべきか?――はそれ自体で十分に困難なものである。複雑なモデル、それも商品の特性を正しく捉えているかどうかも定かではないモデルを適用することなしに理解できない構造を創り出すことは、単なる愚行であり、クォンツの傲慢さと疑似科学の売り込みのごった煮である。