一つ目は、金融業が存在しない場合の投資の利得行列。
自分/自分以外 | 投資する | 投資しない |
---|---|---|
投資する | 3 , 3 | -1 , 1 |
投資しない | 1 , -1 | 1 , 1 |
(イタリック体の数字は確率変数であることを示す)
ITなど新規産業に投資をする場合、投資家が自分だけの場合は失敗する可能性が高い(右上のセル)。この状況は、一つ一つの案件がリスクが高いということで分散投資をしたとしてもさして変わらない。しかし、世の中の皆がこぞって投資すれば、投資先のスタートアップ企業の多くが失敗するにしても、そうした失敗を踏み台にして大化けする企業が出てくることにより産業全体が飛躍を遂げ、結果的に大きな利得を得られる可能性がある(左上のセル)。
この利得行列にはナッシュ均衡が二つあり、一つがそのように自分も他人も投資してそれぞれ3の利得を得る高位均衡。もう一つは皆がリスクを恐れて投資せず、自分の作った商品や農産物を貯めこんで得られる1の利得で満足する低位均衡である。
一方、銀行は不確実な見返りを確実なものに転換することにより、投資の利得行列におけるナッシュ均衡を以下のように一つに絞ることができる。
自分/自分以外 | 投資する | 投資しない |
---|---|---|
投資する | 2 , 2 | 2 , 1 |
投資しない | 1 , 2 | 1 , 1 |
この場合、投資をすれば確実に2の利得が得られるので、皆が投資するのが唯一のナッシュ均衡になる。これが即ち金融業の役割である。
…と、ここで話が終われば、やはり金融業は世の中に必要だね、めでたしめでたし、ということになるのだが、そこはかねてから銀行に辛辣な言葉を浴びせてきたワルドマンのこと、そうした結論で締め括るはずもなく、2番目の利得行列は実はまやかしで支えられている、と主張する。つまり、1番目の利得行列と2番目の利得行列は基本的には同じ投資に関するものなのに、2番目の行列からリスクと損失が消えているのは、すべての投資家(=預金者)に銀行が以下のようなことを顔を赤らめもせずに囁いて説き伏せるためだ、と彼は言う:
こうしたまやかしに支えられている以上、不透明性(や銀行同士の相互依存や政府との癒着)は銀行の本質であり、改革によって除去できるものではない、とワルドマンは言う。いわば銀行はプラシーボなのであり、その偽薬のお蔭で社会は大胆になってリスクを取ることができ、産業経済を発達させることができた、というのが彼の主張である。