信用危機を預言したカサンドラ

昨日のエントリで紹介したクリントンのインタビュー原稿で、こんな一節があった。

Mr. CLINTON: Oh, I talked to a lot of people. I talked to actually Greenspan about this once. I said how can we have all this money — you remember we had one institution failed that the New York Fed had to bail out. It had some derivative investments and it went down. Do you remember that?

NEW YORK TIMES: I don’t.

Mr. CLINTON: What was the name of that? There was a bank that failed that the New York Fed bailed out an institution that had some derivative exposure? And so I talked with them.

NEW YORK TIMES: In ‘98-ish?

Mr. CLINTON: Yeah.

Bill Clinton, on His Economic Legacy - The New York Times

(拙訳)
クリントン氏:(デリバティブの問題について)私は多くの人と話した。実際のところ、グリーンスパンとも一度話した。私はどうしてあれだけの資金が――NY連銀が破綻したある金融機関を救済したことを覚えているだろう。そこはデリバティブ投資をしていて駄目になったんだ。覚えているかい?
NYタイムズ:いいえ。
クリントン氏:何と言う名前だったかな? NY連銀が救済した破綻した銀行、デリバティブに投資していた金融機関があったのだが? そのことがあったので、多くの人と話をしたんだ。
NYタイムズ:98年頃の話ですか?
クリントン氏:そうだ。

LTCMの名前をクリントン度忘れしたのもさることながら、インタビュアー記者も覚えていないというのに驚くのは小生だけではないだろう。


それはともかく、クリントンが言及したまさにこの時期に、彼の政権下で商品先物取引委員会(CFTC)の委員長を務め、デリバティブの危険性に警告を発した女性がいた。クリントンはこのインタビューでまったく言及していないが、その女性、ブルックスリー・ボーンが、このところ改めて注目されている。


もっとも、ボーンの当時の行動がこれまでまったく報じられなかったわけではない。かねてから――特にこの危機に関連して――あちこちで取り上げられている。たとえば、本ブログで昨年末に紹介したスティグリッツヴァニティ・フェア記事*1でも、彼女のデリバティブ規制強化の動きを潰したとしてルービン、サマーズ、グリーンスパンの3人が断罪されている。


彼女がここにきて改めて脚光を浴びたのは、5/18に、シーラ・ベアFDIC長官らと共に、ケネディ財団から2009年度のProfile in Courage Awardケネディのピューリッツア賞受賞作「勇気ある人々」にちなんだ賞)を受け、久々にマスコミの前に姿を現したからである(キャロライン・ケネディによる表彰と受賞スピーチの動画はNECNサイトで見られ、そのスピーチ内容はケネディ財団のサイトで読める)。

クリントンケネディに憧れて大統領になったことを考えると、彼の政権下で重要閣僚の圧力に抗して闘った弱小官庁の長が、その勇気を称えられてケネディにちなんだ賞を受賞した、というのは何とも皮肉に映る。


ちなみに、彼女の当時の行動を取り上げた日本語の記事は、ざっとぐぐっただけでも以下のようなものがあった。説明代わりに引用しておく。

ボーン氏はCFTC委員長を務めていた1998年、取引を規制せず野放しにすれば「経済が重大な危機にさらされる」可能性があると言明したが、規制導入をめぐり、グリーンスパン米連邦準備制度理事会FRB)議長やルービン元米財務長官との縄張り争いに屈した。
・・・
93年から99年までCFTCの委員を務めたジョン・タル氏は「ブルックスリー氏の正当性が証明されてきている」と指摘。「皆が彼女の主張に耳を傾けていれば、今回の大惨事は回避できたかもしれない」と語る。

引退してワシントンに住むボーン氏は今回、インタビューには応じなかった。
(2008/11/13ブルームバーグ記事)

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=infoseek_jp&sid=a47IZfZDKVDw

 デリバティブ規制については、金融界で有名なエピソードがある。

 米ヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)が破たんの危機に直面し、米当局主導の救済パッケージが講じられた1998年、当事CFTCの委員長を務めていたブルックスリー・ボーン氏は、デリバティブ相対取引を野放しにすれば経済が重大な危機にさらされる可能性があると警鐘を鳴らし、当局者らと懇談にのぞんだ

 しかし、グリーンスパンFRB議長、ルービン元米財務長官、レビット元SEC委員長が異口同音に規制導入に異議を唱えたため、ボーン氏の主張は排除された。
(2009/5/14ロイター記事)

http://special.reuters.co.jp/contents/forecast_article.html?storyID=2009-05-14T152853Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-380099-1.xml

 ただの無神経ではすまされないような逸話もある。98年3月、クリントン政権商品先物取引委員会(CFTC)委員長だったブルックスリー・ボーンのもとに、サマーズ(当時は財務副長官)から電話があった。どうやら猛烈な勢いでボーン(女性)を怒鳴りつけたらしい。当時の部下のマイケル・グリーンバーガーによれば、受話器を置いたボーンは「真っ青になっていた」という。

 その数週間前に、ボーンはデリバティブ金融派生商品)の規制を検討すべきだと政権中枢に訴えていた。この控えめな提言が、超エリート男の逆鱗に触れたようだ。

 ルービン財務長官とアラン・グリーンスパンFRB議長、それにサマーズは、わずかでも規制の動きがあれば、デリバティブ取引はすべて外国の市場に逃げてしまい、米経済は大きな痛手を受けると警戒していた。サマーズの電話は、ボーンに提言の取り下げを迫るものだったと、グリーンバーガーは言う。

 当時、証券取引委員会(SEC)の委員長だったアーサー・レビットは、デリバティブの規制についてはボーンが正しく、ルービン、グリーンスパン、サマーズのほうがまちがっていたとはっきり認める。「あらゆる悲劇の前には警告がなされるものだ。しかし私たちは、ボーンの警告に耳を貸さなかった」

 サマーズに言わせると、彼自身は一定の規制が必要と考えていた。「ただしルービン長官やグリーンスパン議長、それにSECのレビット委員長は、CFTCの提案したような規制は効果がなく、それ自体が市場に大きなリスクをもたらすと強く懸念していた」

 「今にして思えば(危機が起きる前に)より強固な規制が適切だったことはまちがいない」と、サマーズは言う。「今は現実の事態に基づいて、経済学の理論を大きく書き換えていく必要がある」
(2009/4/22ニューズウィーク記事)

危機に立ち向かう新・サマーズ経済学 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 「百年に一度」という表現は、それほど間違ってはいないと思います。もちろん、いまの金融危機を招いた最大の責任者であるグリーンスパンの居直り発言は、それだけで糾弾されるべきです。ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM、米国コネチカット州に本部を置いて運用されていたヘッジファンド)が破綻した直後の1998年に、米商品先物取引委員会(CFTC)委員長のブルックスリー・ボーンが野放図な金融の動きを規制しなければ、「経済が重大な危機にさらされる」と規制法案作りを開始した時、そんなことをすれば戦後最大の危機に世界が陥るとして法案を撤回させた首謀者がグリーンスパンだったのです。

 クリントン政権下のルービン財務長官、サマーズ財務副長官も恫喝に加わりました。
(2009/4/3東洋経済日報 本山美彦 大阪産業大学経済学部教授インタビュー)

縮む世界経済と韓日 第7回 大阪産業大学 経済学部 本山 美彦 教授 | オピニオン | ニュース | 東洋経済日報

 5月20日、上院本会議でホワイトハウスの頭痛の種だった商品先物取引委員会(CFTC)の委員長人事が決着した。オバマ氏が大統領就任前の昨年12月18日に指名したゲンスラー元財務次官が、88対6の賛成多数で承認されたのだ。議会が指名から半年以上も「待った」を掛けたのは、ゲンスラー氏が金融危機の遠因を作った1人ではないかとの声が上がったためだ。
・・・
 1998年のヘッジファンド「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」(LTCM)危機を受け、当時のボーンCFTC委員長(当時)は「金融システム安定を脅かす店頭デリバティブを規制すべきだ」と主張した。

 これに徹底的に反対したのが、ルービン財務長官(当時)とサマーズ財務副長官(同)だった。「規制は金融の技術革新を阻害し、店頭デリバティブ取引が海外に逃避する」というのが理由だった。1999年5月、下院農業委員会で証言したゲンスラー財務次官は「巨大で活力のある市場は米国の成功に不可欠な要素である」と、ルービン氏やサマーズ氏の主張に沿って証言した。

 時は1990年代後半、ITバブルはまだはじけておらず、米国経済とウォール街は絶好調だった。クリントン政権の経済政策はクリントノミクス、あるいは国家経済会議(NEC)委員長と財務長官を歴任したルービン氏が司令塔を務めたことからルービノミクスとも呼ばれ、評価が高かった。

 クリントノミクスあるいはルービノミクスにおいては、均衡財政とグローバル化と並び、金融自由化が重要な柱だった。結局、ボーン委員長の警告は財務省、連邦準備理事会(FRB)、SECに無視され、ウォール街ロビイストがあっという間に議員を懐柔。2000年12月、フロリダ州での開票をめぐる大統領選の混乱と政権交代のどさくさにまぎれて同法は成立した。店頭デリバティブは全く規制されず、CFTCのみならずどの金融当局の監督も受けないことになった。
・・・
 勇気ある告発をしたとしてボーン元委員長はこのほどジョン・F・ケネディ図書館財団から表彰を受けた。一方のゲンスラー氏は「デリバティブチアリーダー(応援団)」と揶揄され、自己批判を強いられている。
(2009/5/22JBPress記事)

「クリントノミクス」の負の遺産 デリバティブを野放しにした戦犯が・・・(1/2) | JBpress(日本ビジネスプレス)

…こうした記事を読むと、グリーンスパン一人を悪者にしてルービンとサマーズを弁護したクリントンの(昨日紹介した)言葉は説得力を欠くように思われる。


また、5/26付けのワシントンポストでは、危機発生以来初という彼女の単独インタビュー記事を掲載している(Economist's View経由。本エントリのタイトルはそこから採った)。そこでは、女性として弁護士の道を歩んだ苦労が紹介されているほか、CFTC時代については以下のようなエピソードが紹介されている。

  • デリバティブによる危機を予感して寝付けない時や、冷や汗をかいて起きることもあった。
  • 彼女を激流に逆らって泳ぐ鮭に喩えた新聞記事について、その比喩は当たっているかも、と述べた。
  • 1996年にグリーンスパンに昼食に招待された時、彼は、市場の不正行為を規制する法律は必要ない、なぜならば不正行為を働くブローカーは客から切られるからだ、と述べた。弁護士として80年代に銀市場における詐欺行為に遭った投資家の案件を手掛けたボーンは、その考えに到底同意できなかった。(WaPo記者はグリーンスパンからこの件についてのコメントを得られなかったとの由)
  • 店頭デリバティブの規制に関するコンセプトペーパーを1998年初めに出そうとしたところ、ルービン、サマーズ、レビットらから激しい抵抗にあった。そんなことをすれば市場は崩壊し、訴訟の山を抱えることになる、というのが彼らの言い分だった。ルービンは、いずれにせよ彼女にデリバティブを規制する法的権限は無い、と言った。
  • 当時の彼女の部下達の回想によると、サマーズは強硬な反対キャンペーンを張った。ある時、電話を掛けてきて「今自分のオフィスに13人の銀行家がいるが、彼らは、この案を進めれば第二次大戦後最悪の金融危機を招く、と言っている」と言ってきた(サマーズはこの件に関するコメントを拒否した)。
  • 1998年4月の大統領のワーキンググループの会合で緊張は頂点に達した。グリーンスパンは我々は規制をすべきでないと言い、ルービンは我々は規制はできないと言った。
  • そうした反対を押し切って、1998年5月にボーンはコンセプトペーパーをリリースした。しかし――同年9月にはLTCM破綻という出来事があったにも関わらず――そのプランは結局モラトリアムの憂き目に遭い、彼女は1999年4月に職を辞した。
  • 当時の下院銀行金融委員会委員長のジム・リーチは、政権の部局があれほど分裂していたのは見たことがない、と回想した。FRB財務省はCFTCの存在意義にまったく敬意を払っていなかった。ルービンやグリーンスパンとボーンの間には、根本的な性格の不一致があった。彼らは彼女より金融のことは良く分かっている、と思っているようだった。(リーチ自身も、CFTCは店頭デリバティブの監督には小さすぎると考え、モラトリアムを推進した。彼は、FRBもしくは財務省配下の清算機関が監督すべきと考えていた。)
  • 当時のCFTC委員バーバラ・ホーラムは、規制の内容云々よりも、コンセンサスを無視してコンセプトペーパーを出した彼女のやり方がCFTCを傷つけたと考えている。一方、彼女を支持する当時の部下は、彼女はCFTCの独立的権限を実行したに過ぎないと擁護する半面、政治的スキルや愛想が足りなかったかもしれないことは認めている。


なお、このワシントンポスト記事を紹介したEconomist's ViewのMark Thomaは、サマーズに対して以下のような辛辣な言葉を浴びせている。

  • 自分が最も賢いと思う人たちは、自分より賢くない人の意見には耳を傾けないものだ。
  • サマーズが教訓と謙虚さを学んだと期待したいが、謙虚さは学んでいないようだ*2。銀行の国有化に反対して市場に任せる方が望ましいと言っていることからすると、教訓も学んだかどうか怪しい。
  • サマーズが公の場で口を開くと碌なことがない。最近彼が前面に出てきていないのは良いことだ。彼の任務をこなせるほどの頭脳があるのは彼だけだ、それが彼の価値だ、というのなら――自分はそれを信じていないが――奥で采配を振るわせるに留め、人々の前に出すべきではない。

*1:こちらのまとめも参照。

*2:cf. 上記のニューズウィーク記事では、謙虚さも(多少は)身につけたという評価を紹介している。
“変わったのは信条だけではない。傲慢な態度にも変化が見える。「年を取れば、人間は誰だって少しは丸くなるものだ」とサマーズ。謙虚になったのは「事態が深刻すぎて、誰にも確かなことがわからないせいかもしれない」とも言う。
オバマ政権で同僚となった面々もサマーズの変化を認める。「決して謙虚なタイプとは言えないが、意見を言うとき『まちがっているかもしれないが』と前置きするようになった。経済政策についても、この困難な状況では誰にでもまちがいはあると感じているようだ。昔の彼ならありえない」と、経済諮問委員会のクリスティーナ・ローマー委員長は言う。”