ケインズ政策としての第二次世界大戦(「現代と戦略」より)

永井陽之助氏が亡くなった。氏が文藝春秋読者賞を受賞した連載を単行本化した「現代と戦略」が出たのは、四半世紀も前のことになる。残念ながら現在は絶版になっているようだが、その本の中で、第二次世界大戦と軍事ケインズ主義を取り上げた文章は、昨今の話題(ニューディールではなく第二次世界大戦大恐慌を終わらせた云々)に関係すると思われるので、以下に引用してみる*1

第二次大戦は、ベトナム戦争と雲泥の差で米国民の圧倒的な支持をうけ、国債は羽がはえたようにさばけ、増税への反対はなく、したがって、インフレもなかった。数百億ドルの資金が戦争機構に投入されたが、国民の消費生活になんらの変化もなかった。むしろ逆に、1939年から45年にかけて個人一人あたりの実質消費は11パーセントも上昇した(『歴史統計』225ページ)*2。30年代よりも、40年代のほうが、より多くの大砲と、より多くのバターを同時に増産することができた。その秘密は、めざましい生産性上昇率にあった。白人も黒人も、男性も女性も手をとりあって工場ではたらき、戦車と戦闘機、空母に爆撃機をつくった。1938年当時わずか32万3千弱(女性をふくむ)の現有兵力しかなかったアメリカが、やがて一千万におよぶ兵力を動員し、30年代の大恐慌で休止していた工場施設は、「民主主義の兵器廠」としてフル回転に入った。

それは、まさしく、ジョン・M・ケインズが予言したとおりであった。1940年7月に、彼は合衆国の雑誌に一論文を寄稿して、ニューディールの姑息な財政支出に論評をくわえ、「資本主義デモクラシーのもとでは、私の理論ケースを証明するに足る大規模な実験に必要な財政支出を組織化することは不可能のように思われる。但し、戦争という条件を除いては」とのべ*3、「戦争準備と軍需生産のみがアメリカ人にたいして、米国経済のもつ潜在的可能性について多くのことを教えてくれるだろう。おそらくニューディールの勝利であって敗北でないところの、経済刺戟が、あなた方により大きな、個人的消費と、より大きな生活水準の向上をもたらすだろう」と、予言していた(「合衆国とケインズ計画」『ニュー・リパブリック』1940年7月29日号)。

たとえば、冷戦のバイブルといわれるNSC68文書(ポール・ニッツ主査、1950年4月大統領に提出)は、朝鮮戦争を予想して作成されたものではないが、つぎのようなことがのべられている。――「第二次大戦の最大の教訓のひとつは、アメリカの経済が、戦時中ほぼ完全にちかい効率を発揮し、一般民間消費以外の目的(戦争目的)に巨大な資源を提供できたのみでなく、同時に、一般市民により高い生活水準を与えることに成功したことである」(国務省外交文書第一巻参照)*4


そして、永井氏によると、そうした第二次世界大戦の成功体験が、アメリカの当局者に誤った教訓をもたらし、ケネディ・ジョンソン時代のベトナム戦争と、その後のスタグフレーションにつながっていったという。

朝鮮戦争後、経済諮問委員長となったレオン・ケーセリング*5は、「バターか大砲か」という二者択一があやまりであることを強調し、大砲をつくることで、バターも増えることを力説してやまなかった。つまり、国内需要を管理するのに、ケインズ的テクニックを適用すべきであると熱心に説いた。防衛支出の増加で国民の生活水準を相対的に低下させ、高い課税、政府介入の拡大をまねくという共和党流の通念がまちがいであると強調した。

ケネディ政権のニュー・エコノミクスは、「大砲でバターを」という軍事ケインズ主義そのものであった。ケネディの経済顧問の一人、ポール・サミュエルソンでさえ、大統領就任前のタスク・フォース報告書のなかで、ケネディ政権が用意している膨大な軍事費増額を積極的に支持して、「経済が、この特別予算の負担にたえきれないという誤った観念のとりこになって、国家の安全が必要とする水準以下に軍事支出をへらすべきではない」と説いている。そして、「軍事支出を増額することはそれ自身、望ましいことであるばかりでなく、この計画を促進させることこそ、わが経済の健康をそこなうどころか、その成長を助けることができる」と断言していた。
ケネディのほかの最高経済顧問の一人、ウォルター・ヘラーも、「国内の繁栄と急成長は、国内の偉大な社会建設と、海外介入のグランド・デザイン双方の目標達成に必要な諸資源をつくりだすことができる」と述べ、民主党が「戦争と繁栄の党」であることを明確にうらづけていた*6。1964年7月、リンドン・ジョンソン大統領は、合衆国のヒュブリスの頂点にたって、「われわれは、世界史上もっとも富んだ国民である。われわれが、わが国の安全と自由を確保するため、必要とする力をすべてもっている。そして、いまこそ、それを実行するときがきた」とたからかに宣言した。偉大な社会建設と、ベトナム介入という、「大砲によるバター」の政策にのめりこんでいった。その結果、70年代のアメリカ経済をなやませる悪質のインフレ体質をつくったことは、こんにちだれでも知っている。
かつてジョセフ・シュンペーターが、「実際的なケインズ主義は、イギリス以外の土壌には植えつけられない苗木であって、他の土地に植えつけられると、すぐ枯死するか、そのまえに有毒化する」(『十人の偉大な経済学者』1951年)*7と予言したとおり、ケインズ主義はアメリカという土壌では、軍事ケインズ主義となって有毒化した。

*1:そういえば以前この本を苺で持ち出したら、そんな低級本なぞ持ち出すな、と怒られたことがあったな…。

*2:米国商務省経済分析局の統計によると、2000年基準で5565ドルから6451ドルへ16%の増加。

*3:ここで原文の引用が読める。
「The conclusion is that at all recent times investment expenditure has been on a scale which was hopelessly inadequate to the problem. ...It appears to be politically impossible for a capitalistic democracy to organize expenditure on a scale necessary to make the grand experiment which would prove my case except in war conditions.」
今の我々にとっては不気味な予言ではある。

*4:原文はここもしくはここで読める(wikipedia経由)。
「One of the most significant lessons of our World War 11 experience was that the American economy, when it operates at a level approaching full efficiency, can provide enormous resources for purposes other than civilian consumption while simultaneously providing a high standard of living.」

*5:wikipediaここここ)ではカイザーリングと表記されている。

*6:関連記事
「Kennedy’s defense budget inverted Eisenhower’s priorities. In a preinaugural task force report that revived the Keynesian tenets of the Truman years, Paul A. Samuelson wrote that “any stepping up” of federal programs “that is deemed desirable for its own sake can only help rather than hinder the health of our economy in the period immediately ahead.” Walter Heller, chairman of the president’s Council of Economic Advisors, summed up the expansionist fiscal creed that guided Kennedy and then Johnson: “Prosperity and rapid growth . . . put at [the president’s] disposal, as nothing else can, the resources needed to achieve great societies at home and grand designs abroad.”」

*7:原文
「...Keynes was not given to vain regrets. He was not in the habit of bemoaning what could not be changed. Also he was not the sort of man who would bend the full force of his mind to the individual problems of coal, textiles, steel, shipbuilding (though he did offer some advice of this kind in his current articles). Least of all was he the man to preach regenerative creeds. He was the English intellectual, a little deracine and beholding a most uncomfortable situation. He was childless and his philosophy of life was essentially a short-run philosophy. So he turned resolutely to the only 'parameter of action' that seemed left to him, both as an Englishman and as the kind of Englishman he was--monetary management. Perhaps he thought that it might heal. He knew for certain that it would soothe--and that return to a gold system at pre-war parity was more than his England could stand.
If only people could be made to understand this, they would also understand that practical Keynesianism is a seedling which cannot be transplanted into foreign soil: it dies there and becomes poisonous before it dies. But in addition they would understand that, left in English soil, this seedling is a healthy thing and promises both fruit and shade. Let me say once and for all: all this applies to every bit of advice that Keynes ever offered.」
少し長めに引用したが、一つはリフレ政策そのものの話であることと、もう一つは「Least of all was he the man to preach regenerative creeds.」という描写がおよそこの人(達)と対照的なのが面白い。