悪いのは経済学者であって経済学ではない

ロドリックがそう書いているEconomist's View経由)。内容をざっとまとめると以下の通り。


経済学者たちは規制されない金融が良いもので、政府の干渉は危険だ、と唱え続け、シラーやルービニのような少数の例外を除けば、危機の危険性に関して警告できなかった。その挙句、今日の事態の解決策については意見が四分五裂の状態にあり、ケインズ的財政政策についても「本質的解決策」から「有害無益」まで意見が分かれている。


しかし、それは経済学自体が問題だということを意味しない。経済学には多様なツールがあり、状況に応じて使い分けることができる。問題なのは、経済学者が自分の嗜好に基づいてモデルを選択してしまうこと。経済学者の役割は、本来、分析者として様々な選択肢の費用と便益を提示することなのに、実際にはイデオローグとして振る舞い、自分の好むモデルおよびその結果を人々に押し付けてしまう*1。また、経済学者は、その知的な懐疑心を人々に知られることを恐れているため、実際以上にモデルに確信があるように振舞ってしまう*2


そう考えると、経済学者の意見が分かれている現在の状態の方が、選択肢が提示されているという面でむしろ良いのかもしれない。彼らはまとまってコンセンサスを押し付けることができないので、選択は政策担当者の手に委ねられる。逆に、経済学者の意見が一致している時こそ、人々が気をつけるべき時なのだろう。



ちなみに、Economist's ViewのMark Thomaが指摘するように、ロドリックは特にマクロ経済学者に対して辛辣である。

Labor economists focus not only on how trade unions can distort markets, but also how, under certain conditions, they can enhance productivity. Trade economists study the implications of globalization on inequality within and across countries. Finance theorists have written reams on the consequences of the failure of the "efficient markets" hypothesis. Open-economy macroeconomists examine the instabilities of international finance. Advanced training in economics requires learning about market failures in detail, and about the myriad ways in which governments can help markets work better.

Macroeconomics may be the only applied field within economics in which more training puts greater distance between the specialist and the real world, owing to its reliance on highly unrealistic models that sacrifice relevance to technical rigor. Sadly, in view of today's needs, macroeconomists have made little progress on policy since John Maynard Keynes explained how economies could get stuck in unemployment due to deficient aggregate demand. Some, like Brad DeLong and Paul Krugman, would say that the field has actually regressed.

(拙訳)労働経済学者は、労働組合が市場を歪めることだけではなく、一定の条件下では生産性の上昇をもたらすことにも焦点を当てる。貿易経済学者は、グローバル化が国内外の不平等に与える影響を研究する。ファイナンス理論家は、「効率市場」仮説の失敗の結果についてあれこれ書いている。開放経済のマクロ経済学者は、国際金融の不安定性について調べている。上級経済学のコースでは、市場の失敗について詳細に学ぶこと、および政府が市場を改善できる多種多様の方法について学ぶことが要求される。
マクロ経済学は、上級段階での学習が専門家と現実世界の乖離を広げる唯一の応用分野かもしれない。それは、妥当性を犠牲にして技術的厳格さを求める非常に非現実的なモデルに頼っているためである。残念ながら、今日の必要性という観点からすると、マクロ経済学は、ジョン・メイナード・ケインズが総需要の不足のために経済が失業から抜けられなくなることがあり得ることを説明してからほとんど進歩していない。ブラッド・デロングやポール・クルーグマンのような人々は、この分野は実際には退歩したとさえ言っている。

*1:cf.ここで紹介したように、ワルドマンは、この状況を「不都合な真実はエレガントな理論に屈し、エレガントな理論はより単純なモデルに屈し、すべてはイデオロギーに屈する」と表現した。

*2:cf.ここで引用した文章=「彼らは、身内どうしでは、何の抵抗もなくその分野の欠点について不満を述べていた。…だが部外者の集団から同じことを聞こうなどと、だれが思おうか。」