自分への攻撃

中学か高校時代に読んだ海外SF短編に、次のようなストーリーのものがあった。

主人公は休暇を終え、再び戦場へ向かう。そこでは、やむことの無い砲弾の応酬が繰り広げられている。しかし、奇妙なことに、敵の姿を目撃したものはいない。
同僚の軍人は、最新鋭のミサイルを撃ち込んだところ、その10〜20分後に、敵も最新鋭のミサイルで応戦してきた、と主人公に報告する。それに対抗して、こちらはさらに強力な攻撃兵器を使う準備に取り掛かっている。


主人公は、ふと疑念に駆られる。攻撃している相手は、実は存在しないのではないか、と。そこにあるのは、撃ち込まれたものをタイムラグを置いて同等の速度で跳ね返すバリアだけで、我々が受けている砲弾やミサイルは、実は我々自身のものではないか?


もしそうだとしたら、現状に至るきっかけは多分小さなことだったのだろう。誰かがそこに石を投げたか銃を撃ち込んだかしたら、跳ね返ってきた石もしくは弾で、怪我をしたか死んでしまった、とか。それについて、慌て者が、すわ、敵がいる、と勘違いして攻撃を仕掛けたのではないか? そして攻撃が跳ね返ってきたのを見て、強力な反撃を受けた、と警察の応援を呼び、警察は軍隊を呼び、どんどん話がエスカレートしてしまったのではないか?


しかし、主人公は、その考えをそれ以上追究することはなく、短編もそこで終わる。


作者もタイトルも忘れてしまったが*1、最近のイスラエルのガザ攻撃のニュースを見て、この短編はそれのメタファーになっているな、と思った。つまり、パレスチナの人々に憎悪を植え付け、数年後、あるいは十年後、もしくは数十年後のイスラエル自身への攻撃の種を蒔いているという点で、短編に登場する軍隊と同じことをやっているんだな、と思った次第。


あるいは、百人のビンラディンを生む、とムバラクが予言したように、イラク戦争もそうなのかもしれない。

*1:ご存知の方、お教え頂ければ幸甚。