それはLTCM救済から始まった…のか?

Hicksianさんが紹介していたが、タイラー・コーエンのこの記事が話題を集めている。本人のブログで紹介されたほか、Economist's Viewマンキューブログでも取り上げられた。


内容は、10年前のLTCM救済が、多少無茶をしてもいざとなったら救済されるさ、という金融関係者のモラル・ハザードを生み、今回の危機につながった、というもの。逆に言えば、あの時に救済しないでおけば、関係者の行動ももう少し慎重になり、今回の危機は避けられたかもしれない、との由。

少し前に紹介したスティーブ・ワルドマンも、金融業界をカヌーの上の野生動物に喩えて、以前暴れた時に少し濡れさせておけば、その後おとなしくなって今回の危機は避けられたかも、と書いている。ワルドマンがITバブル期を例に取っていることを除けば、コーエンと同様の発想である。


ただ、この伝で行くと、今回リーマンを潰したのは、今後のもっと大きな危機(たとえばGreat Chaos級の世界的危機)を避けるために正しかった、ということになるのだろうか? そうした考えは、ここで紹介したダイアモンド=カシャップの議論や、クルーグマンここで批判したコクランなど、シカゴ大系の人たちの清算主義的思想に通ずるような気がする。

あるいは逆に、コーエンブログのコメントで指摘されているように、10年後に、あの時にAIGやシティを救済したからまた危機が起きたのだ、という話が出てくるのかもしれない*1

いずれにしろ、個人的には、こうした議論は、子供が大それたことをしでかしたのは、親が甘やかしたせいだ、というのに似て、あまり筋の良い議論のようには思われない*2。それよりは、大それたことをやりにくい仕組み、ないし、大それたことをやらかしても社会全体への被害が最小限で済む仕組みを考えるのが建設的ではないだろうか。コーエンの主張を敷衍すると、資本市場における市場統制は、一罰百戒のような人治主義の原理で臨むべき、ということになるが、それでは中国共産党の統治と大差なくなってしまう。やはり、そこは法治主義を目指すのが筋のように思われる。


マシュー・イグレシアスは、コーエンの記事を受けたブログエントリ(コーエンがブログの追記でリンク&引用している)で、問題は、LTCM救済そのものではなく、その後の規制当局の対応――というか非対応――にあった、と指摘している(これについては、先日紹介したようにスティグリッツも同様の指摘をしている)。イグレシアスは、当局が不介入方針を貫くならば救済もすべきでない、救済するなら規制をすべきであり、今のように規制を碌にせずに暗黙の救済保証をするのは最悪、と述べている*3

その点については、コーエンも記事の後半で、今の救済はケース・バイ・ケース(“regulation by deal”)になっており、基準が分からないので、市場の不確定性を高めている、と的を射た指摘をしている。


以前のエントリで、マイケル・スペンスのエッセイを元に、金融システムをコンピュータシステムに喩えたことがあったが、そのアナロジーでいくと、現在はマニュアルも手順書も整備されておらず、障害が起きるたびにただドタバタと泥縄式に対応をしているようなコンピュータシステムと同じ状況にあると思われる(日本の金融機関のシステムがそういう状況にあれば、金融庁から業務改善命令が出されるところである)。
そして、少しは管理をきちんとしようと提言する人がいると、それではソフトウエア開発の自由度が奪われ創造性が失われてしまう、と反対する人によって抑え込まれてしまうわけだ。
趣味のサークルで運用しているシステムや、(こう言っては何だが)「はてな」のようにほとんど無料サービスのシステム、あるいは草創期のシステムならばそういった状況も許容されようが、サービスが拡大してそれなりの対価を要求するシステムでは、安定運用のためにある程度タガを嵌めるのは不可避だろう。ましてや、社会の基本インフラを担うシステムとなれば猶更である。そうしたシステムで、個々のアプリのバージョンアップや入れ替えやパッチ当てはそれぞれの担当者に任せっぱなしで自分は関知せず、ただ、問題が起きたら一緒にドタバタと駆けずり回って何とか問題を解決する、という仕事のやり方をしているシステム管理者がいたら、普通はコンプライアンス遵守違反と見做され、即クビだろう*4
その意味で、やはり米金融当局には、妙なイデオロギーや人治主義などに囚われず、純粋に技術的な立場から金融システムをシステムとして安定運用できる形に持っていくことを切に望みたい(…まあ、今の金融システムの“OS”をきちんと作り直そうと思ったら、デヴィッド・カトラーが千人いても足りないかもしれないが…)。



なお、Economist's ViewのMark Thomaが、このコーエン記事の紹介に絡めて、今回人々が過剰リスクを取ってしまった理由を三点挙げているので、併せて紹介しておく。

  1. 誤解(misperception)
    • 住宅価格がずっと上がり続けると考えてしまった。
  2. 誤伝(misrepresentation)
    • 業者が虚偽の情報を与えた。
  3. 誤配(misallocation)
    • リスク配分の誤りが、以下の2点において生じた。
      1. いざとなったら政府が助けてくれるというモラル・ハザードにより、リスクが民間から政府へ移転。
      2. 政府の規制不足により、業者が損失のリスクを部分的にしか負わなかったため、リスクを多く取るインセンティブが働いた、というプリンシパル・エージェント問題が発生。
  4. 誤導(misguide)(番外)
    • 政府が金融業界に誤った指導をしたことにより生じる問題。ただし、今回の場合には当てはまらず。

Thomaは、コーエンはリスクの誤配、就中モラル・ハザードの問題が大きかったと考えているが、自分の考えではモラル・ハザードよりも規制不足の問題の方が大きかった、そして、リスクの誤配よりもリスクの誤解の問題の方がもっと大きかった、と書いている。Econlogのアーノルド・クリングも、住宅問題に関する限り、と断りつつ、その考察に賛同している。
それに対し、コーエンはEconomist's ViewとEconlogの両方にコメントを寄せて、民間部門のリスクマネージメントの誤りが根本問題ということには同意するが、LTCM問題の対処の仕方によってはその誤りが避けられたかもしれない、と述べている。



P.S.
タイラー・コーエンといえば、少し前にブログにこんなポストをしていた。コーエンは、どう考えて良いか分からない、正しくない気もするが、反対する理由も見つからない、と書いているが、正直、小生も日本人としてどう反応してよいか分からない。Waiwai問題みたいにまた日本人に対する妙な誤解を生む元にならなければ良いが…。

*1:なお、コーエンブログのコメント欄では、LTCM救済の時は、NY連銀は関係者を集めて珈琲とサンドイッチを提供しただけで、資金は提供しなかった(それはコーエンも記事で「The bailout did not require upfront money from the government」と認めている)が、それを今回の救済と同列に考えてよいのか、という点についても活発に議論されている。

*2:cf. このエントリの脚注のパリス・ヒルトンの喩え。

*3:ちなみにグリーンスパンは、イグレシアスやスティグリッツが指摘するように規制反対派であった半面、LTCM救済にも積極的だったわけではないが、マクドナーNY連銀総裁の動きを黙認した(cf. ここで挙げた参考文献)。

*4:ただ、システムが分からない上司には、そうした人こそ良く仕事をやっているように見えて、きちんと管理して障害を未然に防いでいる人より逆に評価される、というのも、世間では得てして有り勝ちではある。ここで引用されたハイマン・ミンスキーの「健全な銀行家」の皮肉交じりの定義は、まさにそれに相当するだろう。願わくば、この会社のように、障害の未然防止に対する正当な評価を世間でも確立してほしいものだが。