スティーブ・ワルドマンがクルーグマンのこのエントリを取り上げ、また興味深いことを書いている。
彼は、クルーグマンのハングオーバー理論批判の第一点、すなわち、なぜバブル縮小期には失業が生じるのに、バブル拡大期には生じないのか――ハングオーバー理論によれば失業はある部門から別の部門への労働力の移動に伴う摩擦で生じるのだから、両方向で生じなくてはおかしいではないか――という疑問に対し、以下のような回答を書いている。
The obvious answer is that when there is a boom, entrepreneurs know into what sector resources must be reallocated, and pull already employed workers from existing jobs into the new big thing. During a bust, from a God's eye view, the same process must occur: resources must be shifted out of some sectors and into others. But entrepreneurs are only human. They do not know to where resources might be productively employed, only that they cannot be productively employed where they are. This is the asymmetry, I think, that explains mass unemployment during busts.
Interfluidity :: Krugman's "hangover theory", revisited.(拙訳)明白な回答は、好況の時は、企業家たちは、どの部門に資源を移動させるべきか知っており、既存の被雇用者を、従来の仕事から新たなプロジェクトに配置転換する。不況の時にも、神の目からすれば、同じことが起きなくてはならない。すなわち、ある部門から別の部門に資源を移転させなくてはならない。だが、企業家は所詮人間である。彼らは、どの部門が生産性が高くて人員を吸収できるかは分からないが、どの部門が生産性が低くて人員を抱えきれないかなら分かる。これが、不況期の高い失業率を説明する非対称性だと思う。
ちなみに、Marginal Revolutionのタイラー・コーエンも、クルーグマンの同じ問いに対し、ほぼ同様の答えをしている。
The answer to Krugman's #1 is a combination of (perceived) wealth effects, downward nominal and real rigidities, and, during the boom workers at least thought they knew what they should be doing but now they do not. The coordination problem on the upswing is not symmetric with the coordination problem on the downswing. In any case it is correct that real sectoral shift theories do not explain all facets of a recession or depression; it is incorrect to conclude that therefore, in light of sectoral shocks, fiscal policy will be effective.
More niggling on fiscal stimulus - Marginal REVOLUTION
資産効果、(賃金の)下方硬直性も要因である、としているものの、ワルドマンと同様、好況期と不況期における労働者移動の非対称性の問題を指摘している。最後には、だからと言って財政出動の効果を認めたわけではないよ、と釘をさしているが、それはこのエントリの主旨が財政政策への懐疑論だからである*1。
日本でのハングオーバー理論の代表的な主唱者としては池田信夫氏がいるが、12/4エントリでは、クルーグマン論説と真っ向から対立することを述べている。その中で、
そもそも不況期にリストラしなければ、いつするのか。景気のいいとき社員をクビにする社長がいたら、見せてほしいものだ。
と問い掛けているが*2、上記のワルドマンとコーエンの文章がその回答になっていると思う。つまり、好況時に成長部門に人員や設備をシフトしようとする経営者がいないかどうかを考えてみれば、それが答えになっているわけだ。そして、言うまでもなく、そちらの「リストラ」の方が痛みが少ない。例えば、石炭から石油へのエネルギー源の転換は高度成長期に行なわれたが、それがもっと低成長の時代だったら、炭鉱労働者の人たちの痛みはもっと大きかっただろう。あるいは、3公社の民営化も、バブル期で無ければもっと社会への負担が大きかっただろう。そうしたより大きな痛みを正当化する理由は、「艱難汝を玉にする」という言葉に表されるような(クルーグマンのいわゆる)「morality play」にはあっても、経済学的には難しいような気がする。
ワルドマンのエントリに話を戻すと、彼は続いて、クルーグマンの2番目の問い――なぜ不況期にはバブルが発生した部門だけではなく全体の失業を減らすのか――について考察している。需給の不均衡、というのが一般的な(ケインジアン的な)回答だが、彼はそれをポートフォリオ理論を援用して説明しようとしている。その概略は以下の通り(用語等はかならずしも原文に沿っていない)。
- しかし、そうやって形成されるマーケット・ポートフォリオに従って分散投資することが良い戦略である、ということは、ポートフォリオ理論の膾炙により、投資家も知っている。
そのため、各投資家は、手持ちの情報を無視し、なるべくマーケット・ポートフォリオに自分のポートフォリオを合わせようとする。その結果、マーケット・ポートフォリオにはあまり個々の投資家の情報が反映されなくなり、少数の先導的な投資家の情報のみ反映されるようになる、という一種の情報カスケードが発生する。
- (ブルッキングス研究所の)バリー・ボスワースは、「分散化は知識の価値を切り下げる」という言葉でこの状況を警告した。
- 少数の先導的な投資家は、自分の利益を考えて行動するので、結果として得られたマーケット・ポートフォリオは、官僚が公益を(一応)考えて構想する産業政策よりもむしろ悪いものになっているのではないか。
- こうしたミクロとマクロの分散化の衝突を避けるため、個々の投資家の分散化を制限し、それによってマーケット・ポートフォリオの分散化を維持するべきかもしれない。それにより各投資家のリスクは増すが、それは別の社会的制度で補償することになろう。
この論理展開は、CAPMにケインズの美人投票論を掛け合わせた感じで、興味深い。ただ、理論的には面白くても、それを現実の政策に反映させるのは簡単ではないだろう。例えば、最後の個々の投資に制約を加えるべき、という提案にしても、ストレートすぎて、実現可能性のみならず、実効性の面でも疑問が残る。今回の住宅バブルを例にとっても、個人投資家がS&P500やラッセル指数に投資したことが、プロの投資家がモーゲージ証券やCDSへ投資したことと、直接もしくは間接にリンクしていたかどうかは不透明だからである。