非常な長期における技術とグローバリゼーション

クルーグマンが、休暇明けにツイートしたりRTしたりした表題の論文(原題は「Technology and Globalization in the Very Long Run」)で、技術進歩とグローバリゼーションの関係について考察している。

論文でクルーグマンは、ロバート・トレンス*1という19世紀の経済学者の予言に焦点を当てている。トレンスは、ある国が土壌や気候の面で絶対的な優位性を持つ商品を除き、国際貿易は細っていく、と予言した。この予言は、マルサスの人口に関する予言と同様に外れたわけだが、外れた理由もマルサスと同様で、その後の技術進歩の勢いを見通せなかったため、とクルーグマンは言う。即ち、国家間で技術が収斂すれば、他の国で作れて自分の国で作れない商品は少なくなり*2、貿易も減退していくと考えられるが、現実には技術進歩が続いたため、なかなか収斂することが無かった、とのことである。

トレンスの予言が外れたもう一つの要因は、輸送費だ、とクルーグマンは指摘する。2カ国モデルでは、世界のGDPにおける貿易のシェアは、輸送費と生産費の比率、換言すれば生産技術と輸送技術の比率に反比例する形で決まる*3。従って輸送技術が生産技術に比べて進歩が著しければ、グローバリゼーションは進むことになり、実際過去は概ねそうだった、とクルーグマンは言う*4

今後についてはどうか? サービスが非貿易財であり、財が貿易財である、と単純化して考えると、財における技術進歩がサービスにおける技術進歩よりも大きかったため、経済における財の比率は小さくなり*5、そのこと自体は貿易を減らす方向に働く。過去75年間は、貿易の自由化、国家間の技術格差拡大が1990年頃まで続いたこと、および、輸送技術の長足の進歩によってその傾向が覆い隠されていたが、技術進歩によってサービス経済化がますます進むと、グローバリゼーションに反する力が働くことになる、とクルーグマンは指摘する。従って、例えば2053年において、技術が今より大いに進歩しつつも貿易が後退している未来もあり得る、とクルーグマンは言う。具体的には:

  • 中印が自国で航空機や自動運転車などを生産
  • 発展途上国の賃金が先進国に比べてそれほど低くなくなった結果、低技術の製品を物流面の困難を超えて輸入するのが割に合わなくなり、米国は衣服をバングラデシュから輸入するのではなく自国で生産
  • 気候変動対策で炭素税や再生エネルギーが一般的になった結果、暖房や地域内輸送に比べて再生エネルギーの利用がより困難な長距離輸送の費用が上昇し、前項の傾向が加速
  • 3Dプリントなどの技術によって地域での生産が容易化
  • AI技術によって、顧客サポート、レントゲン解析、バンガロールでの低賃金労働など何でもかんでもアウトソーシングすることの魅力が低下
  • ロボットは生産の効率性を大いに上昇させたものの、台所の流しの水漏れを修理することは未だできないため、サービスへの支出割合はますます増加

のようになっていることが考えられるという。その場合、農業や鉱業における優位性を基にした貿易や、旅行などを除き、貿易が今より減少している可能性もある*6。実際にそうなるかどうかは分からないが、技術進歩によって世界経済の統合が進展すると安易に決めてかからない方が良い、と警告してクルーグマンは論文を結んでいる。

*1:cf. Robert Torrens (economist) - Wikipediaロバート・トレンス大佐 (Colonel Robert Torrens)

*2:その点をクルーグマンは、各商品の他の国との交易が、賃金と相対的な生産性と輸送費で決まるドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソン(Dornbusch, Fischer and Samuelson、1977、cf. これ)のモデルで解説している。

*3:正確には貿易シェアをμ、労働生産性を1/γ、輸送費をτ労働単位、輸入価格をPM、国内生産価格をPD、代替の弾力性をσとすると、μ=1/(1+(PM/PD)σ-1)=1/(1+(1+τ/γ)σ-1)。

*4:逆に、生産技術の方が極端に進んだ場合の思考実験としてクルーグマンは、新スタートレックレプリケーター(cf. レプリケーター - Wikipedia)が実現した世界を挙げている。その世界では、例えば紅茶をインドから輸入する必要は無くなる。

*5:技術進歩の差以外の要因として、エンゲル曲線型の効果(実質所得が高くなると食料などへの支出が減ること)があることもクルーグマンは指摘している。

*6:ただし農業については人工肉を食べるようになっている可能性もある、とクルーグマンは注記している。