機械が人間を置き換える、という懸念が一般に取り沙汰されているが、マクロ的に見ると英経済では逆のことが起きている、とクリス・ディローが表題のエントリ(原題は「The robot paradox」)で指摘している。
...the gap between the growth of the non-dwellings capital stock and employment growth has been lower in recent years than at any time since 1945. ...
...Households are saving less than they used to, which is not what you’d expect if they feared losing their jobs. Companies are still building up cash quickly and borrowing little, and of course real interest rates are low. All this is consistent with low capital growth.
If we looked only at the macro data, we’d fear that people are taking robots’ jobs – not vice versa.
(拙訳)
・・・非居住資本ストックの伸びと雇用の伸びとの差は、近年、1945年以降で最低水準にある。・・・
・・・家計は以前ほど貯蓄していないが、職を失うのを恐れていたらそうはならないはずである。企業は依然として現金を急速に積み上げ、借り入れをあまり行っておらず、そしてもちろん実質金利は低い。これらのことすべては資本の伸びが低いことと整合的である。
マクロデータだけを見ていると、懸念すべきは人々がロボットの仕事を奪っていることであって、その逆ではないように思われる。
そのように企業が投資していない理由の候補として、ディローは以下の4つを挙げている。
- 新技術に投資する自信や能力を欠いた、Bloom=Van Reenenの言う「極めて経営が拙い企業のロングテール」が存在する。
- 2008年の不況がアニマルスピリットに傷跡を残している。それによって将来の不況への恐れが高まり、投資を抑制している。
- 財政緊縮策が総需要を抑え、それによって投資のモチベーションも抑えられた。また、実質賃金が抑制されたことにより、労働節約的な技術に投資する企業のインセンティブが減退した*1。なお、1960年代に投資が盛んだったのは、そうした労働節約的技術を企業が求めたのが一つの理由だった。
- ロボットの時代という話が流布していること自体が、将来の競争への懸念から企業を委縮させているかもしれない。数か月後に競合企業が半額のより優れたロボットを手に入れられるかもしれない状況で、今ロボットに投資する気になるだろうか? また、イノベーションの見返りを得るのはごく少数の企業に限られる、というノードハウスの発見を企業は学んだのかもしれない(Hendrik Bessembinderの推計によれば、1926年以降の米国の株式市場の上昇は4%の企業で説明できる)。
ここでディローは明らかにソロー・パラドックスのロボット版を意識しているように思われるが、敢えてそちらに話を持っていかずに、代わりにマルクスの以下の言葉を引用して、我々はその段階に達したのだろうか、と問い掛けてエントリを結んでいる。
At a certain stage of development, the material productive forces of society come into conflict with the existing relations of production...From forms of development of the productive forces these relations turn into their fetters.
(岩波文庫(武田隆夫・遠藤湘吉・大内 力・加藤俊彦)訳*2)
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係…と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。