ミクロ的基礎付けの陥穽

以前、大雑把な実証主義とミクロ的基礎付けの対比にアスピリンの比喩を持ち出したロバート・ワルドマンのエントリを紹介したことがあったが、サイモン・レンールイスが似たようなことを書いている
そこで彼は、自身の以前のエントリで引用したAdrian Paganの2003年のBOE向け報告書に掲載された以下の図に言及している。

レンールイスは、ミクロ的基礎付けを医学における生物学(細胞の働きやその各種の化学物質との相互作用など)、実証主義を医学における疫学などの統計分析に喩えている。そして、理論は事実に沿うか否かのはずではないか、という単純なハードサイエンスについての見方をしている人にはこの図は奇妙に見えるかもしれないが、生物学と統計分析が常に足並みを揃えているとは限らないことを理解している医者には納得できる図のはずだ、と述べている。
両者が乖離した例としてワルドマンは、アスピリンの効果が分かっていたこととそのメカニズムが不明であったことを挙げていたが、レンールイスは喫煙と肺癌の関係を挙げている*1アスピリンの薬効が分かっているのにメカニズムが不明という理由でその服用を拒むのが馬鹿げているのと同様に、喫煙と肺癌の関係の生物学的なメカニズムが不明という理由で両者の統計的関係を無視して喫煙を継続するのは馬鹿げている、というわけだ。
レンールイスは、彼がミクロ的基礎付け純粋主義者(microfoundations purists)と呼ぶ人たちが唱える、目にすることに基づくのではなくミクロ的基礎付けができることに基づいてモデル化や政策助言をすべき、という主張について、一笑に付さない科学哲学者はいないだろう、と痛烈に批判してエントリを結んでいる。

*1:ちなみにレンールイスはこの比喩を少し前に別の文脈邦訳)でも使った、と断っている。