経済学者の意見の一致はどこまで効果があるか?

WaPoのMonkey Cageでジョージワシントン大のヘンリー・ファレル(Henry Farrell)が、4/2エントリで紹介した経済学論争を取り上げている
以下はファレルによる議論の流れのまとめ。

  • 主流派経済学を批判したUnlearning Economicsと、左派寄りの経済学者サイモン・レンールイスの意見の不一致が議論の発端。大不況中に政府が緊縮策を舵を切ったことには主流派経済学も部分的に責任がある、とUnlearning Economicsが主張したのに対し、レンールイスは、真犯人はシティのエコノミストの助けを受けて財政赤字の恐怖を喧伝した政治家だ、と反論した。
  • それに対し、不況中に張った論陣で名を馳せたバークレーの経済学者デロングが、政治家と民間部門だけではなく、有名な学界の経済学者も緊縮策を主張した、と論じた。デロングに言わせれば、公けの場で意見を述べた主流派経済学の大部分が緊縮策に反対したわけではなく、意見は割れていて、どちらかといえば緊縮賛成派の方が声が大きかった*1
  • レンールイスはデロングに反論し、本当の問題は、政治家が少数派の経済学者を選り好みしてその影響力を誇張したことにある、と述べた。それに対しデロングは、経済学者は誠実に議論している場合でも必然的に意見が割れるものだが、誰を信じるか決めるべき非専門家がそのために大いなる疑念を抱くことになり、それこそが真の問題、と再反論した
  • 有名ブロガーのケビン・ドラムは、そうしたことは何ら問題にならない、何となれば経済学者には本当の影響力は無く、政治家は自分に都合の良いと思われる経済学者のアドバイスを拾い上げるに過ぎないから、と述べた。経済学者のノア・スミスは、利用可能な実証結果の質の乏しさを考えれば、マクロ経済学者はもっと謙虚になるべき、と論じた

以上の議論についてファレルは、論点を3つに整理している。

  1. 経済学者は緊縮策のような問題についてコンセンサスに到達できるのか?
    • この点についてレンールイスとデロングの意見が分かれている。レンールイスは、経済学界の外部者に議論の認識を歪めた責任の大部分があると言い、デロングは最善の場合でも経済学者は最終的に意見が一致しない、と論じた。
  2. 政策を形成できるほどまでに経済学が政治的に影響力を持つ時期はいつ来るのか?
    • この点についてドラムは、経済学者の議論は、政治家がどのみち行う選択を飾り立てるのに使う化粧に過ぎない、とにべもない。デロングとレンールイスは、それぞれ特定の経済学派がもっと影響力を持つことを望んでいる。一方スミスは、経済学者は公けの場でもっと謙虚であれ、と要望している。
  3. 学界の経済学者は大不況後の緊縮策に一部の責任があるのか?
    • この点についてドラムもレンールイスも否定的である。ドラムは彼らの意見が重視されないため、レンールイスは外部者が議論を歪めたため、をその理由としている。デロングとスミスは、学界内で必然的に生じる分裂と意見の不一致に部分的な責任がある、と考えている。

その上でファレルは、ジョン・クイギンと共著した最近の論文を基に、以下の見解を示している。

  • 大不況には2つの局面があった。最初の局面では、かつての懐疑論者であったマーチン・フェルドシュタインを含め、経済学者が景気下支えのための支出増大を訴えた。通常は何につけてもまず意見が一致しない経済学者の間にコンセンサスらしきものが形成されたことが、政治家を動かした。
  • 第二局面では、支出増大を快く思わない政治家や政府機関の働き掛けもあって、経済学者のコンセンサスらしきものが崩れた。その結果、欧州委員会財務相がアルベルト・アレシナを招いたり、ECBが緊縮派の研究を持ち上げたりするようになった。

これにレンールイスが反応し、その点について自分はドラムと同意見で、政治家はいずれにせよ自分のやりたいようにやるので、経済学者の意見が一致していれば緊縮策を退けていたとは思わない、とファレルの見解に否定的な見方を示した


ちなみにクリス・ディローも一連の議論を取り上げ、主流派かどうかよりも正しいかどうかで判断すべき、とやや斜め上気味の意見を述べている

*1:ここまでの各論者のブログエントリは4/2に紹介したもの。