右派のピケティ批判の貧困

雑誌The Bafflerのブログ「Zero Tolerance」でKathleen Geier*1が保守派のピケティ批判をまとめたのを受けて、デロングがProject Syndicate論説で右派の批判を分析した(同論説を表題の自ブログにも転載している;原題は「Over at Project Syndicate: The Poverty of Right-Wing Piketty Criticism」)。
デロングによると、ピケティの主要な論点は以下の5点だという:

  1. 社会の年間所得で基準化した富は、純貯蓄率を成長率で割った水準にまで増加(もしくは縮小)する。
  2. 時間の経過と偶然の結果により、富は「富裕層」と呼ばれる比較的少数の集団に必然的に集中する。
  3. 経済の成長率は、工業化で即座に得られる果実を収穫した後は、減速する。その一方で、累進税率の後退や、20世紀前半の混乱と崩壊の終結や、富裕層の所得や富を貯蓄ではなく支出に向かわせる拠所無き社会的理由の不在により、純貯蓄率は上昇する。
  4. 富裕層が経済、政治、および社会文化的に非常に強い影響力を有している社会は、多くの点でよろしくない。
  5. 富の対年間所得比率が成長率の非常に大きな倍数になっている社会は、Geierが別のところで「相続者本位制」と呼んだような、遺産相続者が富をコントロールする社会となる。そうした社会は、実力で成功を収めた起業家の富裕層エリートが支配する社会よりも多くの点でさらによろしくない。

その上でデロングは、批判者の議論を以下のように分類している。

Matt Rognlie
(4)を批判。富へのリターンは、富の対年間所得比率と強い逆相関の関係にあるので、富裕層の富が大きいほど、所得における彼らの占有率はむしろ低くなる。従って、経済、政治、および社会文化的な影響力も低下する。
タイラー・コーエン
(4)と(5)を批判。「有閑階級」は、暇のある貴族社会を形成するまさにそのことによって、貴重な文化資源となる。生活必需品のためにあくせく稼ぐことに縛られないで済むため、物事を長期的ないし違った視点から見たり、偉大な芸術を創作したりすることができる。
その他
産業革命によって即座に得られる果実が再びもたらされ、創造的破壊の次の波も起こる。それによって所得階層間の移動性も向上し、(2)と(3)の問題も解消する。


ただ、保守派の批判で問題なのは、上述のような議論を展開したのは少数に留まり、ピケティの分析能力や動機から国籍に至るまでを躍起になって非難した人が多かった点にある、とデロングは言う。以下がその例。

Clive Crook
「[ピケティが]提示するデータの限界と、彼が導き出した結論の誇大さ加減・・・統合失調症に近い。」
「[彼]自身のデータと分析によって支持されないか、矛盾する」結論を提示している。
「拡大する格差にピケティが感じた恐怖」によって彼はあらぬ方向に迷い込んだ。
James Pethokoukis
ピケティの本は次のツイートに要約できる:「カール・マルクスは間違っておらず、単にあまりにも早すぎただけ。資本主義、残念でした。#格差は永久」
アラン・メルツァー
「[現IMFの]オリビエ・ブランシャールが教授を務めたMITで」ピケティは同じフランス人のエマニュエル・サエズと共同研究を行ったんだよね。「ブランシャールもやはりフランス人である。フランスは長年に亘って破壊的な所得の再分配政策を実施してきた。」

こうした系統の批判を、デロングは、ピケティ本の真の問題は著者がメンヘラの外国の共産主義者であることにある、と茶化した上で、マッカーシズムに連なる米国の右派の伝統的な攻撃手法、と位置付けている。反面、デロングが属する中道左派は、データ収集や議論の展開の技法から、ピケティ本を称賛と畏敬の念を以って受け止めているとの由。


とは言え、ピケティの議論の10-20%に誰もが異論を唱え、おそらく別の10-20%にも確信が持てないだろう、ともデロングは述べている。ただ、その10-20%は人によって異なり、本全体としては概ね正しいという点はほぼコンセンサスになっているのではないか、というのがデロングの見立てである。右派がレベルアップして有効な批判を打ち出さない限り、それが評価として定着するだろう、赤狩りやフランス叩きは役に立ちそうにない、と述べてデロングは論説を締め括っている。

*1:この人の格差問題の自ブログ記事について以前取り上げたことがある。