14日エントリと16日エントリで紹介したガーディアン紙記事を巡る議論にクリス・ディローも加わり、以下のように書いている。
For me, there seems to be a presumption here which both sides seem to share but which I don’t – or at least that I don’t care about. It’s that economics is a canon of work which is taught to students and the outside world. However, I think of economics differently – as a box of theories, evidence and mechanisms which help me make sense of the world. What I care about is: what are the facts? And: how do we explain them? I don't much care what's orthodox or heterodox.
(拙訳)
この議論には、両陣営が共有しているが私が共有していない――少なくとも私が気にしていない――前提があるように思われる。それは、経済学とは学生や外の世界に教授される研究の体系である、というものだ。しかし、私は経済学を違うふうに考えている。即ち、世界を理解する上で訳に立つ理論、実証、および仕組みの集合体、として考えている。私が気にするのは、事実は何で、それをどのように説明するか、だ。何が正統で何が異端かはあまり気にならない。
このディローのスタンスについてコメント欄では以下のような意見が見られた。
I think you should care. Its because its amazing that a theory that is so empirically wrong/doesnt agree with facts can even make it out of academia to gain legitimacy for itself and its academics. Its an insight into how terrible a shape the orthodoxy is in to even allow for this. This is not as great a problem with other fields.
Imagine if this was the case for vaccines. You wouldn't care how it got out into the real world in the first place?
(拙訳)
私は貴兄は気にすべきだと思う。というのは、実証的に完全に間違っていたり事実に合わなかったりする理論が学界から出てきて世間に広まり、その理論ならびに当該の学者が正当性を得る、というのは驚くべきことだからだ。そもそもそうしたことが起きるのを許容していることが、正統派経済学が如何にひどい状態になっているかを示す一つの証左になっている。他の分野ではここまでひどいことにはなっていない。
ワクチンで同じことが起きていたらどうなることか。ワクチンが実世界にどのように出てきたかそもそも気にしたことがあっただろうか?
これにディローは以下のように応じている。
I see your point. Maybe I was being solipsistic. I was driving at the point that I can construct something meaningful out of economic research.
The problem here though is that word "orthodox". Is the CAPM orthodox? The question leads to for me tiresome issues of definition. I suspect you might well be right that academia (at least in some parts) perhaps still prizes theoretical elegance over facts.
(拙訳)
おっしゃることは分かる。少し独りよがりだったかもしれない。私が言いたかったのは、経済研究から何か意味のあることが構築できる、ということだ。
ただ、ここで問題になるのは、「正統」という言葉だ。CAPMは正統だろうか? この疑問はうんざりするような定義の問題に通じている。学界(少なくともその一部)が未だに理論的洗練を事実よりも優先している、という点で貴兄は正しいかもしれない。
ここでCAPMが出てくるのは、本文で、正統派経済学の間違いが実証研究によって示された例としてCAPMを挙げたためである。その点について本文の末尾では以下のような断りを入れている。
Now, you might object that financial economics is a minor tributary of economics that nobody much cares about. For me, this is its appeal. Macroeconomics is, for many people, so tied up with their political passions that progress is more difficult.
(拙訳)
金融経済学は経済学の二次的な分野で誰もあまり気に掛けない、と抗議する人もあるかもしれない。私にとっては、それこそがこの分野の魅力だ。マクロ経済学は多くの人にとって自身の政治信条と強く結び付いているため、進歩がより難しくなっている。
なお、正統か異端かという点については、コメント欄で以下のようなやり取りも見られた。
あるコメント:
I presume there's a huge amount of mainstream economists digging into why CAPM wrong, taking frictions seriously. I know you don't care about it, but it irks me that criticising economics is cast as a heterodox thing whereas imho the best criticisms of the mainstream often come from within.
(拙訳)
摩擦を真剣に捉えて、CAPMがなぜ間違っているかを深堀りしている主流派経済学者は数多くいるものと思う。貴兄がそれを気にしないというのは分かるが、私に言わせれば主流派に対する最善の批判が内部から出てきているにも関わらず、経済学を批判するのは異端的なこととされるのにはうんざりさせられる。
ディローの返答:
this is exactly my problem with these sort of debates. They go like this:
Critic of economics: "Economics assumes perfect markets/rationality/whatever"
Economist: "No they don't. Look at papers A, B, C etc"
Critic: "But those papers aren't mainstream"
Economist: "Yes they are"
Critic: "No they're not"
Etc
(拙訳)
それこそがこの手の議論で私が問題だと思うことだ。議論はこんな感じで進む:
経済学批判者:「経済学は完全市場/合理性/等々を仮定する」
経済学者 :「それは違う。論文A、B、C等を見よ」
経済学批判者:「しかしそれらの論文は主流派ではない」
経済学者 :「いや、そうだ」
経済学批判者:「そうではない」
等々