とデロングが唱えている。
"Structural reforms" are extremely dangerous unless you have a high-pressure economy to pull resources out of low productivity into high productivity sectors.
The view in the high councils of Europe is that, when there is a high-pressure economy, politicians will not press for "structural reform": there is no obvious need, and so why rock the boat? Politicians kick every can they can down the road, and you can only try "structural reform" when unemployment is high--and thus when it is likely to be ineffective if not destructive.
I don't think this view is correct. But this is the view--in Europe. This creates a very difficult political economy puzzle for Europe. I really do not have any sort of solution.
Quite possibly we should simply drop "structural reform". Most of the time, "structural reform" means policies that reduce the size of unproductive sectors and in the process create significant numbers of substantial losers. That is why people call it "structural reform" rather than some other, more properly descriptive phase.
(拙訳)
「構造改革」は、低生産性部門から資源を引っ張り出して高生産性部門に移す高圧経済の下でない限り、極めて危険である。
欧州の高レベルの各種委員会における見解は、高圧経済の下では政治家は「構造改革」を推し進めようとしない、というものである。“必要が無ければ、なぜ事を荒立てるのだ?”と言って政治家はあらゆることをできるだけ先延ばししようとするので、「構造改革」は失業率が高い時しかできない、というわけだ。すると構造改革は、それが破壊的と言わないまでも非効率的なものとなる可能性が高い時にしかできない、ということになる。
私は彼らの見解が正しいとは思わない。しかし欧州ではその見解が支配的となっている。そのことによって、欧州には政治経済上の非常な難問が生じている。私にはその解決策は全く分からない。
我々は単に「構造改革」という言葉を捨て去ればよいのではないか、と思う。大抵の場合、「構造改革」は、非生産的な部門の規模を縮小し、その過程で大いなる敗者を大いに生み出す政策を意味している。それが、人々がその政策を、もっと内容に即した何か別の呼び方ではなく、「構造改革」と呼ぶ理由である。
このデロングの主張は、以前小生がこちらのエントリでクルーグマンやスティーブ・ワルドマンの見解を基に展開した議論と同じことを言っているように思われる。