理由ある反抗

と題したIMFのFinance & Development6月号の人物紹介記事で、ダニ・ロドリックが取り上げられている(原題は「Rebel with a Cause」。H/T Economist's Viewマンキューブログ)。
そこではロドリックがハーバードに入学した経緯について以下のように述べられている。

He was able to go from his native Turkey to Harvard because of his father’s success as a businessman. Like many countries in the 1970s, Turkey followed a policy of import substitution—imposing tariffs to keep out imports and substitute domestic products. Protected by these tariffs, his father’s ballpoint pen company was successful enough that Rodrik could contemplate studying in the United States. “I am the product of import substitution,” Rodrik has said.
(拙訳)
彼が出身国のトルコからハーバードに行けたのは、父親が実業家として成功したためだった。1970年代における多くの国と同様、トルコは輸入代替政策を採り、輸入品を締め出して国内製品で置き換えようと関税を課していた。そうした関税に守られ、彼の父親のボールペン会社は、ロドリックが米国で勉強することを検討できるほど成功していた。「私は輸入代替の産物なのです」とロドリックは言った。

大学院はプリンストンに進学し、ディキシットに師事するが、その時のエピソードは以前のF&D記事で取り上げられている


学者になった後のロドリックは、貿易と所得の再配分、資本移動の自由化、ワシントンコンセンサスといった問題について主流派の見解に反対し、最終的には説き伏せてきた、という。

以下は貿易と所得の再配分に関する箇所からの引用。

In practice, though, losers seldom share in the winners’ gains (redistribution in economic parlance). Rodrik says that “to this day, there is a tendency in the profession to overstate” the gains from trade while paying lip service to the need for redistribution. But trade theory shows that “the larger the net gains, the larger the redistribution [that is needed]. It is nonsensical to argue that the gains are large while the amount of redistribution is small.”
In his 1997 monograph, “Has Globalization Gone Too Far?” Rodrik pointed to the failure to push redistribution seriously as one reason for the gap between economists and laypeople in their attitude toward trade.
(拙訳)
しかし実際には、敗者が勝者の利得の分配に与ること(経済学の用語で言えば再配分)は稀である。ロドリックは、再配分の必要についてはおざなりな形で言及する一方で、貿易の利得を「誇張する、という傾向が経済学者において今日に至るまで存在します」と言う。然るに貿易理論が示すところによれば、「純利得が大きいほど、[必要となる]再配分も大きくなります。利得が大きい一方で再配分の額が小さい、と論じることは意味が無いのです。」
グローバル化は行き過ぎたのか?」という1997年の著書*1でロドリックは、経済学者と一般人の貿易に対する態度の違いをもたらした一因として、再配分を真剣に推進しなかったことを挙げた。

貿易によるそれ以外の問題としてロドリックが挙げたのは、

  • グローバル市場で成功する技術や能力を持つ者と持たざる者との深刻な落差を顕在化させること
    • 再訓練や教育抜きでは、後者が自由貿易に反対するのも無理からぬこと。
  • 雇用の関係を根本的に変えてしまうこと
    • 国境を超えた競争により、労働者の所得は不安定化し、交渉力は減じる。
  • 国内生産で含意されている規範を損なうこと
    • 例:海外生産における児童労働が国内の労働者を置き換える場合

こうしたことによって新たな階級格差が固定してしまう、とロドリックは論じたという。


以下は資本移動の自由化に関する箇所からの引用。

Along with Jagdish Bhagwati, a champion of free trade, and Nobel Prize–winner Joseph Stiglitz, Rodrik spoke up against this financial globalization. Rodrik argued that the benefits that Fischer mentioned paled in comparison to the risks of increased volatility from the entry and exit of foreign capital. “Boom-and-bust cycles are hardly a sideshow or a minor blemish in international capital flows; they are the main story,” he said.
(拙訳)
自由貿易の旗手であるジャグディシュ・バグワッティとノーベル賞受賞者ジョセフ・スティグリッツとともにロドリックは、金融の自由化に反対の声を上げた。フィッシャーが言及した恩恵は、外国資本の流出入がもたらすボラティリティ増大のリスクと比べると見劣りする、とロドリックは論じた。「上下動の波は、国際的な資本移動において枝葉末節の問題であるとか小さな傷であるなどとはとても言えません。それが主題なのです」と彼は言った。

ここでフィッシャーというのは、当時IMFの筆頭副専務理事で、資本移動の自由化を「発展の必要不可欠な段階であり、推進すべき」と論じたスタンレー・フィッシャーである。フィッシャーは、資本の自由化を進めれば、国民や政府の貸借条件が良くなり、進んだ金融技術の導入によって金融市場が効率化し、貯蓄と投資の両面で配分が改善する、と論じたという。
ロドリックはまた、資本移動の自由化による長期資本の移動が慎重な規制監督下で秩序正しく行われる、というIMFの主張にも疑いの目を向け、それを支持する実証結果は存在せず、むしろ事態が悪化する懸念がある、と論じた。記事では、その後のロゴフやラジャンという歴代のIMFのチーフエコノミストの研究や、ロドリック自身が書いたIMFスタッフペーパーの研究では、ロドリックの見方が概ね支持された、という旨が記述されている。


以下はワシントンコンセンサスに関する箇所からの引用。

Rodrik provided many examples of successful industries in many countries that relied on a combination of market and state support. “Costa Rica is not a natural place to manufacture semiconductors,” he noted, but the government “got Intel to come in and do just that.” He argued that the historical record did not support assertions that the government cannot pick winners: “when economists say [this] they are really, for the most part, doing amateur political science.” What was more important, he said, was “to design institutions that … give the government the capacity to let go of the losers.”
(拙訳)
ロドリックは、多くの国における、市場と国の支援の組み合わせに頼って成功した産業の多くの事例を提供した。「コスタリカは、半導体製造を行うのが当然、という場所ではありません」と彼は指摘した。しかし政府は「インテルを招致してまさにそれを開始しました。」 彼は、政府が勝者を選ぶことはできない、という主張は過去の記録によって支持されない、と論じた。「経済学者が[そのようなことを]言う時、彼らは大概において、素人の政治学をやっているのです。」 より重要なことは「政府が敗者を切り捨てられるような…制度設計を行うことです」と彼は言った*2

The case studies also showed there was “very little in common across [the] policy changes” that triggered growth, according to Rodrik.
...
Today, “the Washington Consensus is essentially dead,” Rodrik says, “replaced by a much more humble approach” that recognizes “we need a lot less consensus and a lot more experimentation.”
(拙訳)
ロドリックによれば、そうしたケーススタディは、成長をもたらした「政策の変更には共通点はほとんど無い」ことも示した、とのことである。
・・・
今日では、「ワシントンコンセンサスは事実上死にました」とロドリックは言う。「コンセンサスを減らし、実験を増やす必要がある」ということを認識した「より謙虚な手法によってそれは置き換えられました。」


アンドレイ・シュライファーは良くロドリックに「革命はどんな具合だい?」と声を掛けたというが*3、革命は成功裏に完了し、IMF自身も説き伏せられた、という見方で記事は結ばれている。

*1:

Has Globalization Gone Too Far? (Institute for International Economics) (English Edition)

Has Globalization Gone Too Far? (Institute for International Economics) (English Edition)


記事によれば、この本を国際経済研究所(Institute for International Economics、現ピーターソン研究所)から出版するに当たっては、タイトル付けも含めてバーグステン所長の尽力が大きかったという。

*2:ここでのロドリックの議論は、小生が以前挙げた政府が民間に比べて劣る2つの点について、第一点は言われるほどひどくはなく(その点は当該エントリで小生も論じたところである)、第二点は制度設計によって解決すべき、というようにまとめられるかと思われる。

*3:ちなみにこちらで紹介したインタビューでもそのエピソードが語られているが、ただしそこではシュライファーの名は伏せられていた。