ダボス会議でスティグリッツやラガルドがGDPの欠点を指摘したことを受け、Mark Thomaが表題のCBS Moneywatchの論説で、GDPの問題点やその代替指標候補についてまとめた(原題は「Why GDP fails as a measure of well-being」)。それをサンドイッチマンがEconospeakで以下のようにさらに簡単にまとめている*1。
At CBS Moneywatch, Mark Thoma reviews the standard "textbook" flaws in GDP that cause it to fail as a measure of wellbeing:
- It counts "bads" as well as "goods."
- It makes no adjustment for leisure time.
- It only counts goods that pass through official, organized markets,
- It doesn't adjust for the distribution of goods.
- It isn't adjusted for pollution costs.
Thoma then points to the discussion in Davos of another flaw in GDP -- it doesn't fully account for the benefits of technology. Isn't that just part of only counting goods that pass through official markets? GDP also doesn't adjust for the unpaid work outsourced to consumers. Some of the "benefits" of technology are a matter of perspective as well as taste.
(拙訳)
CBS MoneywatchでMark Thomaは、GDPが厚生の指標として失敗している原因となっている、標準「教科書的」なGDPの欠点を挙げている:
- 「悪いこと」と「良いこと」を区別なく集計している
- 余暇について何ら調整していない
- 公的な組織化された市場で取引された財のみを集計している
- 財の配分について調整していない
- 公害のコストについて調整していない
それからThomaは、ダボスで議論されたGDPのその他の欠点について指摘している。即ち、技術の恩恵を完全に計上していないことである。ただ*2、その話は、公的な組織化された市場で取引された財のみを集計しているという話の一部ではないのか? GDPはまた、消費者にアウトソースされた無給の仕事についても調整していない。それに技術の「恩恵」とやらの一部は、嗜好の問題であると同時に考え方の問題でもある。
その上でサンドイッチマンは、Thomaが見落としている点として以下の3点を挙げている。
- GDPは厚生の指標として意図されたことはなく、経済が収入を上げる能力の指標として作成された。
- 後者の指標としての最も際立った欠点は、政府支出を最終消費として恣意的に生産に計上していることである。政府支出の多くは、二重計上を避けるために中間財として扱われるべき。
- GDPが測定され報告される単位が不安定
- 修復に使われる財やサービスの存在
- これは、前項の話と、「悪いこと」と「良いこと」を区別なく集計しているというThomaの最初の指摘との組み合わせになる。
- GDPには、地震による破壊を集計せず、それに起因する修繕や再建を集計する、という非対称性がある。
- 時間が経つに連れ、修復に使われる財やサービスに向けられる経済活動の割合は高まっていく。Stefano Bartoliniはこれを「負の外部性成長(negative externality growth)」と呼んだ。
- この効果の累積的影響は加法的ではなく乗法的である。というのは、修復に使われる財やサービスの割合の増加は、厚生を増大させる財やサービスの価格を調整する指数を歪めるからである。
輪ゴムの定規は当てにならないが、これはシリーパティーだ、とサンドイッチマンはGDPを断じる。客観的な総体的な経済活動の指標という概念はそもそも恣意的なものであり、細かな技術的な部分を弄っても「より正確な」指標が生み出されるわけではなく、正確性等々が結局は主観的な判断に委ねられる別の指標が生み出されるに過ぎない、と彼は言う。
彼は以下の言葉でエントリを結んでいる。
The questions we need to ask are: What do we really want to know and why? What purposes were we pursuing when we sought to measure economic activity? Is measuring GDP helping to achieve those purposes? Are those purposes still our priorities? If not, what should be? What different institutions might we invent to achieve our purposes as we NOW understand them?
(拙訳)
我々が問うべき質問は:何を本当に知りたいと思っているのか、そしてその理由は? 経済活動を測定しようとしている時、どういう目的を追求しているのか? GDPの測定はそうした目的の達成に役立つのか? そうした目的は今も我々の優先課題なのか? もしそうでないならば、何を優先課題とすべきなのか? 我々が今の目的として理解しているものを達成するために、どのような今と異なる仕組みを作り上げるべきなのか?
これにアーノルド・クリングが反応し、GDPを測定することの意味として以下の5つを挙げ、それについての自分の見解を示している。
- 戦争に勝つのに必要な財(軍備だけでなく必要な消費財も)を経済が生産する能力の指標を与える。
- この指標は、勝敗の帰結がそうした生産能力に大いに左右された第二次大戦当時には最も有用性が高かっただろう。今は当時ほどは有用性は無いかもしれない。
- 消費者福祉を提供する経済の能力の尺度を与える。
- これは非常に興味深い指標ではあるが、それならば、なぜ実際に消費された財・サービスに焦点を当てないのか、という疑問が出てくる。その答えは、消費者余剰を測るのはかなり困難、ということに求められる。即ち、
- 耐久財、とりわけ住宅からの消費サービスを測るのはかなり困難
- 公害のようなThomaの言う「悪いこと」を測るのはかなり困難
- これは非常に興味深い指標ではあるが、それならば、なぜ実際に消費された財・サービスに焦点を当てないのか、という疑問が出てくる。その答えは、消費者余剰を測るのはかなり困難、ということに求められる。即ち、
- 国同士、もしくは時系列的に生産性を比較する。
- これは有用な使用法ではあるが、少なくとも2つくらいならば重要な数値は正確に測れる、などと考えるべきではない。生産性成長率がある5年間と次の5年間でXからYに変わった、などという人は、データにおける信号対雑音比に対してクリングよりもかなり楽観的な見方をしている。
- 経済が不況に陥っている程度を示す。
- これは総需要−総供給の枠組みに依存し過ぎた発想。クリング自身はその枠組みをあまり信頼していない。
- 経済活動を市場価格で測定する。
- これは有用だと思うが、現在の測定法は間違っている。政府サービスの大半は市場価格で販売されておらず、クリングはそれを指標から取り除いた方が良いと考えている。