George Selginが、ケイトー研究所のブログで、オーストリア学派からの批判に対しフリードマンを擁護している(H/T Mostly Economics)。
Alas, far from being rare, harsh opinions about Friedman are easy to come by among the more uncompromising critics of government intervention in monetary affairs. Ludwig von Mises, another of my monetary economics heroes, may have started the trend when, according to Friedman himself, he stormed out of a debate at the first (1947) Mont Pelerin meeting after calling its other participants, Friedman among them, “socialists.” Some years later, in 1971, Murray Rothbard reached a similar verdict, this time in print, though he substituted “statist” for “socialist.” (That Friedman was more of a statist than Rothbard himself was certainly true. But who, in 1971, wasn’t?) Today more than a few “End the Fed” libertarians still accept Rothbard’s judgement.
(拙訳)
悲しいかな、金融業務への政府介入に対してより妥協なき批判を行う人々からは、フリードマンについての厳しい意見は滅多に聞かれないどころではなく、良く聞かれる。そうした風潮の発端になったのは、私にとっての金融経済学のもう一人のヒーローであるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスかもしれない。最初の(1947年の)モンペルラン会合でミーゼスは、フリードマンを含む参加者を「社会主義者」呼ばわりした挙句、議論の場を飛び出したとフリードマン自身が述べている。何年か後の1971年に、マレー・ロスバードも、今度は印刷物で同様の評決に達したが、ただし「社会主義者」の代わりに「国家統制主義者」という言葉を用いた(フリードマンがロスバード自身よりも国家統制主義的であったことは確かに事実だ。しかし1971年にそうでなかった者がいただろうか?)今日でも、「FRBを終わらせろ」と考える少なからぬリバタリアンが依然としてロスバードの判決を肯定している。
Selgin自身も、1988年に以下の自著をFoundation for Economic Education機関誌の「The Freeman」で書評して貰おうと思って送ったところ、当時の理事長のHans Sennholzから、良くもまあフリードマンの考えの幾つかに賛同した一方で「ザ・マスター」(=フォン・ミーゼス)を(穏やかながら)批判した本を送り付ける気になったものだ、と毒を吐かれて、いやでも僕ってフリードマンよりミーゼスの方が好きなんだけどな、と涙目になるという経験をしたとの由。
The Theory of Free Banking: Money Supply Under Competitive Note Issue
- 作者: George A. Selgin
- 出版社/メーカー: Rowman & Littlefield Pub Inc
- 発売日: 1988/06/28
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログ (1件) を見る
Selginは、フリードマンの金融政策に関する政府介入志向を知悉している点では自分は人後に落ちるものではない、と述べた上で、フリードマンが不換紙幣を支持したにしても、裁量的金融政策は決して支持しなかった、と指摘している。またフリードマン(とアンナ・シュワルツ)のお蔭で、大恐慌が自由市場に内在する不安定性の証拠と捉えられることがなくなった、とも指摘している。さらに、以下の点も指摘している。
Friedman’s more strident critics also seem unaware of how his monetary ideas changed over time, evolving in a way that fans of either the gold standard and free banking ought to commend. Much of this evolution appears to have taken place during the mid-1980s. In various articles written then, Friedman admitted having erred in treating fiat money as a less expensive alternative to gold. He also renounced his previous defense of central banks’ currency monopolies, conceding that there was in fact no good reason for prohibiting commercial banks from issuing their own paper notes. Instead of recommending a constant growth rate for the money stock, as he had in the past, he switched to arguing for a constant or “frozen” monetary base, which was tantamount to recommending that the Fed’s monetary and discount window operations be altogether shut down. Finally, he publicly declared himself in favor of abolishing the Fed on numerous occasions. Think what you will of Friedman’s later opinions, you will go blue in the face trying to convince me that they are those of a “statist.”
(拙訳)
フリードマンの厳しい批判者は、彼の金融に関する考えが時を追ってどのように変化していったかも知らないように思われる。その変化とは、金本位制もしくはフリーバンキングの支持者が称賛すべき形での進化であった。その進化の大部分は1980年代半ばに成し遂げられたように思われる。当時書かれた様々な論文でフリードマンは、金に対するより安価な代替物として不換紙幣を扱ったことは誤りであったと認めた。彼はまた、以前に中央銀行の通貨に関する独占権を擁護したことを取り消し、商業銀行が独自の紙幣を発行することを禁ずる然るべき理由は実際のところ存在しないことを認めた。過去の彼が行ったように貨幣ストックの一定の成長率を推奨する代わりに、一定ないし「凍結された」マネタリーベースを主張するようになったが、それは、FRBの金融や割引窓口の操作を完全に閉鎖することを推奨するのと同義である。また彼は、一再ならず、自身がFRBの廃止を好むことを公けに宣言した。フリードマン後期の意見をどう思うにせよ、それが「国家統制主義者」の意見だと私を納得させるには苦労するに違いあるまい。
Selginはまた、フリードマンがいなかったら、フリーバンキングの考えは経済学界でもっとマイナーなものに留まっていただろう、とも指摘している。