という面白い造語をクルーグマンが24日のエントリで使っている*1。
The answer I seem to get is fear of a dramatic flip in circumstances — that Japan, say, could engage in a sort of macroeconomic quantum tunneling, suddenly transitioning from deflation to crashing currency and runaway inflation. That’s not impossible. But it does seem an odd thing to be worrying about right now. Also, does raising the consumption tax in a slump, or obsessing about the state of Social Security in 2030, really make that much difference to the prospect of such an abrupt transition?
I don’t see the plausibility — and it seems really strange for that concern to loom so large in the face of everything else going wrong.
(拙訳)
私が見たところ、答えと思しきものは、状況が劇的に一転することへの恐れだ。言うなれば日本が一種のマクロ経済的量子トンネリングを経て、突然デフレから通貨暴落と狂乱物価へと転移するやもしれぬ、というわけだ。それは起こり得ないことではない。しかし、今この時期に心配することとしては妙なことのように思われる。また、不況の中で消費税を上げることや、2030年の社会保障の状態について頭を悩ますことが、そうした突然の転移の見通しに本当にそれなりの変化をもたらすのだろうか?
その話は私には説得的には思われない。そして、それ以外のすべてのことがうまく行っていない時に、そうした懸念が大きく存在感を増しているのは実に奇妙なことのように思われる。
これは、伊藤隆敏氏の講演を報告したFT Alphaville記事を受けたエントリである。その講演で伊藤氏は、彼のいわゆる「財政危機」が日本で起こるのを防ぐために、消費税を少なくとも15%まで上げないといけない、と述べたという。というのは、高齢化によって貯蓄が減り、企業が利益を銀行に預けなくなり、年金基金が高リターンを求めて海外に向かうようになるため、国債の需要が減少するから、とのことである。高齢化はまた、税基盤を切り崩し、高齢者への支出を増やす。従って、消費増税抜きでは、こうした圧力が2021年と2023年の間のどこかで危機に転じ、借り入れコスト増大によって政府は債務不履行もしくはハイパーインフレの二者択一を迫られる、とのことである。
クルーグマンは伊藤氏のことを「good and sensible economist」と評しつつも、その懸念には納得できない、としてこのエントリを書いている。また、ブランシャールともこの問題については意見が異なる、として以前のエントリにリンクしている。
FT Alphaville記事を書いたMatthew C Kleinも伊藤氏の見解に否定的で、彼の講演に自分たちと聴衆の幾人かは困惑した、と報告している。そして、以下の点を指摘している。
- 日銀は政府発行分以上の国債を買っている。また日銀は金融緩和姿勢を明確にしているので、借り入れコストに影響することなしに民間が安全資産への需要を減らす余地はまだ十分にある。
- 日本の公的債務は円建てであり、大部分が日本国内で保有されている。円建てなので、外国人保有者も受け取りを円建ての財やサービス、資産に支出しなくてはならない。
- 日本の政府債務はしばしば過大評価されている。伊藤氏はGDPの245%という数字を何度も出したが、政府の他の部門の保有分や政府保有の資産を相殺した純ベースでは140%以下に過ぎない。そこからさらに日銀保有分の210兆円を差し引くと、債務負担はGDPの50%となる。
- 伊藤氏の言う家計や企業のポートフォリオの変更は、成長にはむしろ好都合。
- 問題は債務そのものではなく、資源の再配分。労働者と退職者の間の増大しつつある不均衡は、どちらかのグループが生活水準を相対的に下げねばならないことを意味している。生産性の伸びが高まれば再配分の問題は陰に隠れるかもしれないが、インフラが整備され若年層が減りつつある状況ではそれほど生産性が伸びるとは考えにくい。
またデロングは、簡単なモデル*3を基に、伊藤氏の懸念が現実化するならば、将来の実質金利が今の実質金利とほぼ等しくなるという不合理なことが起きるのではないか、という考察を示している。