ボルカーのインフレ鎮圧は誰の勝利だったのか?

80年代のボルカーによるインフレ鎮圧はケインジアンの勝利だった、とクルーグマン書いたところ、それは違うのではないか、とStephen Williamsonが批判している

以下はその批判の概要。

  • アーサー・オークンは、1978年の「効率的な反インフレ政策(Efficient Disinflationary Policies)」*1で、ロバート・ゴードン、ロバート・ホール、フランコ・モジリアニ=ルーカス・パパデモス、ジョージ・ペリー、ジェームズ・ピアス=ジャレド・エンツラー、マイケル・ワクターの6者が推計したフィリップス曲線を用い、インフレを1%引き下げるコストを見積もったところ、平均してGNPの10%(幅は6〜18%)という結果を得た。0.6〜1.8%のインフレの引き下げは、失業を3.5ポイント引き上げ、2000億ドルの購買力の低下をもたらす、と彼は記述している。
  • NBER定義で1981Q3を山とし1982Q4を谷とする1981-82の景気後退では、四半期の個人消費支出デフレーターは3.6%低下した。これは年率2.9%の低下に相当し、オークンの見積もりでは年当たりのGDPが29%低下することになる。しかし、実際の実質GDPの景気後退期間中の低下は2.5%程度に過ぎず、年当たり2%程度であった。
  • オークンは同論文で、通常の政策ではインフレ引下げのコストが大き過ぎることを示した後、より効率的な手法として、企業のコスト引き下げへの補助金を提案した。
  • また、ジェームズ・トービンも、1977年の論文で、所得政策(=賃金や物価のコントロール)がインフレコントロールの唯一の手段である、と論じた。トービンは、所得政策によるハーバーガーの三角形の死荷重というコストは、産出ギャップという通常政策によるインフレコントロールのコストに比べれば小さい、と書いた*2。オークンの提言と同様、この提言も顧みられることは無かった。
  • 以上が1978年当時のマクロ経済学の権威ある大物が考えていたことだった。一方、当時はまだ新進だったトム・サージェントは、1981年の論文「The Ends of Four Big Inflations」「Stopping Moderate Inflations: The Methods of Poincare and Thatcher」でインフレ問題に取り組んだ。「四大インフレーションの終焉」で彼は、持続的で頑固なモメンタムがインフレにはあり、それを抑制するには長期間を要するというのが当時の経済学者のコンセンサスだと述べた上で、別の見方として合理的期待の考えを紹介している。合理的期待の考えでは、政府の財政赤字や貨幣創造に関する人々の見通しがインフレを生み出しているのであり、その政策レジームを変更すれば――それは決して容易ではないが――「モメンタム」論者が考えるよりも安価に素早くインフレを抑制できる、ということになる。またサージェントは、そうした合理的期待の考え方には歴史や理屈の裏付けは無い、というサミュエルソンの見解に脚注で反論している。
  • 1%ポイントのインフレ引き下げコストが2000億ドルという数字は誤り、とサージェントは「モメンタム」論者を批判したが、合理的期待の考え方に基づいてコストを評価するモデルがまだ存在していないことを彼は認めた。しかし両論文のインフレ抑制の歴史的事例により、自らの考えを例証した。
  • このエピソードの勝者と敗者は誰か、と問うのは誤った質問だろう。科学が進歩する時には全員が勝者なのだ。各科学者が、自分の考えより優れた考えが出てくることを敗北と捉え、新しい考えを中傷することによりその敗北を阻止しようとするならば、科学は進歩しなくなる。
  • ボルカーの政策を注意深く点検した場合、彼はああすべきだった、こうすべきだった、ということは言えるかもしれない。しかし、ボルカーのインフレ鎮圧は必要だったのであり、その鎮圧過程でどれほどの産出が失われたにせよ、過去30年間に我々が享受した低インフレによる便益の方が大きかった、というのが経済学者のコンセンサスだろう。
  • 税/補助金や賃金/物価管理でインフレをコントロールしようとする者は21世紀にはいない。インフレのコントロール中央銀行の管轄だというのは今や総意となっている。それについては1970年代のマクロ経済学の革命派というよりもオールドマネタリストの功績かもしれないが、革命派は現在我々が金融政策の問題を考える際に使う枠組みの大部分を提供した:
    1. 政策行動よりも政策レジームで考える
    2. コミットメントは重要
    3. きちんと理解された政策ルールは重要
    4. 人々はフォワードルッキングである
  • そうした考えは中央銀行界隈では共通概念になっており、1980年代以降に成功したマクロ経済学者はサージェントらの考えを吸収している。ウッドフォードがその一例。
  • 金融政策決定という混乱した世界では、未だに状況に基づく政策ルールではなく政策行動で金融政策を考えたり、フィリップス曲線の傾きの推計のようなもので政策決定をしようとする人がいる。ポール・ボルカーのような意志力を持った人は稀であり、政策決定に様々な考えの人が絡んでいる時には制度的なコミットメントは困難なものとなる。そうした現状においては、上述した過去の論争は今も意味を持つ。
  • マクロ経済学の思想史を戦いの歴史と見做すのは面白かろうが、実際には、誰それの考えが誰それの考えに勝利した、と簡単に割り切れるものではない。今では有用と考えられている考えは、それ以前のすべての考えに源流を辿ることができるものである。また、多くの人の研究や議論を通じて変わっていくため、誰か特定の人を開祖と見做すのが難しいこともある。我々は、サミュエルソンを合理的期待主義者をけなした人としてではなく、「経済分析の基礎」や世代重複モデルを生み出した人として記憶すべきである。そして今や我々は皆合理的期待主義者なのだ。クルーグマンも、「日本がはまった罠」論文(邦訳)ではルーカスのキャッシュインアドバンスモデルを使った。彼もまた合理的期待主義者なのだ!

*1:これ

*2:ちなみにマンキューもかつて別の文脈でトービンのこの言葉をブログで引用したことがある。