乗数小論争

ロバート・ワルドマンが、本ブログで12/14に紹介した政府支出と実質GDPの関係について12/24付けAngry Bearエントリで再び論じ、ジョン・コクランやタイラー・コーエンら反ケインジアン派はFREDのデータも見ていないのか、と批判した。それをクルーグマン取り上げ、ワルドマンは保守派の経済学者がデータを見ずに議論していることにショックを受けたようだが、彼が今更それにショックを受けていることに自分はショックを受けた、と書いた。これにクルーグマン嫌いのStephen Williamsonが反応し、ワルドマンのデータの見方には問題がある、と指摘した。それに対しワルドマンは、Williamsonエントリのコメント欄や元エントリの追記で反論している。


最初のワルドマンの論点は概ね以下の通り。

  • FREDのデータを見ると、債務上限問題は政府支出に目に見える変化を引き起こしていない(これは12/14に本ブログで紹介した議論の繰り返し)。
  • 景気回復期には実質政府支出と実質GDPの伸び率は明確に正の相関を示していた。これはFREDで時系列グラフを見ても確認できるし、散布図グラフで回帰線を引くことによっても確認できる。2009q4〜2014q2の19データポイントで実質GDP伸び率を実質政府支出伸び率に回帰した結果、決定係数=0.2432、実質政府支出の回帰係数は0.339(t値=2.34)となった。


これに対するWilliamsonの反論は概ね以下の通り。

  • ワルドマンの回帰でデータを2ポイント増やし、回復期間全体を含むようにすると、相関係数は0.34から0.50に改善する。
  • しかし、推計期間を2008q1〜2014q3とすると、相関係数は-0.12になる。
  • 予想されるケインジアンの反論は:
    • 政府が実質GDPの目標水準を有しており、それを達成しているとすると、実質GDPと実質政府支出は無相関になる*1
    • あるいは、政府が制約により生産ギャップを部分的にしか埋められないとすれば、2008年には政府支出が十分ではなく、同年に政府支出が増加する一方で生産が落ち込むという現象が起きた、とも考えられる。
  • ケインジアン・クロスの考え方からすれば、乗数は消費と生産の関係に表われる*2、とケインジアンは言うかもしれない。しかし、実質消費と実質GDPの伸び率の相関は-0.07であった。
  • 単純な相関係数でモデルの優劣や政策の是非に結論を出せることはまず無い。ブログで解決できるような政策問題は稀なのだ。政府支出が総生産を増やす経路は様々あり、その際、何に支出するか、どのように賄うか、が問題となる。それはケインジアンクロスのような単純な話で片が付くものではない。


これに対しワルドマンはコメント欄で以下の3点を指摘している。

  • ファーマやコクランやルーカスなどの経済学者は乗数はゼロであると主張しているが、データを少しでも触ると乗数は1より大きいというケインジアンの主張に至る。
  • FREDを見ていないというワルドマンの保守派経済学者への批判に対し、FREDを使わないのが愚かさの証拠になるほどFREDがユーザーフレンドリーになったとは(担当者の)Christian Zimmermannも喜ぶだろう、とWilliamsonは皮肉で応じているが、FREDを見ないで良いという理由を説明して欲しい。
  • 現代の旧ケインジアンは加速度原理を信じており、政府支出は投資を通じて効くと考えている。1960年代のケインジアンは消費をそれほど重視していない。設備投資を抜いた実質GDPの前期差を設備投資の前期差に回帰すると、1.382(t値=3.25)という回帰係数が得られる。


そのコメントにWilliamsonは以下のように応じている。

  • ファーマはファイナンスの人であり、自分の知る限り、現代マクロ経済学の研究は行っていない。コクランはブログやWSJで発言しているに過ぎない。ルーカスについては公開の場での発言を貴兄は念頭に置いているようだ。なぜ政府支出の効果についての出版された論文を読まないのか? それはたくさんあるし、ケインジアンは1超、他はゼロ、といった話にまとめられるものではない。
  • FREDを見ないで良いという理由を説明して欲しいというのであれば、論文を読まないで良いという理由を説明すべし。
  • ケインジアンとは言い得て妙なり。設備投資と生産の正の相関を説明する本物の理論が数多あることを理解すべし。


一方、ワルドマンは元エントリの追記で以下のように論じている。

  • 2008年の政府支出は2.88兆ドルで、GDPは14.58兆ドルだったので、先の回帰係数0.339に14.58/2.88を乗じると1.716という乗数が得られる。これは、除外変数の問題や信頼区間の問題をひとまず措けば(回帰誤差を基に単純計算すると±2標準偏差の範囲は0.248から3.184になる)、IMFの1.5という推計値に近い。実証としては非常に粗いものであり、証拠としては不十分であることは重々承知しているが、それでもケインジアンの見方を支持している。一方の反ケインジアンはニュースを見ているに過ぎない。
  • 前回の回帰は2014q3の更新前だったので、それを加えた20ポイントで推計すると、決定係数は0.3320、回帰係数は0.362(t値=2.92)となった。
  • さらに2009q3を加えた21ポイントで推計すると、決定係数は0.2641、回帰係数は0.320(t値=2.61)となった。
  • また、伸び率の代わりに前期差で推計すると、決定係数は0.2619、回帰係数は1.640(t値=2.60)となった。これは乗数を直接推計したことに相当する。
  • さらに、実質GDPと実質政府支出の水準同士の回帰にタイムトレンドを説明変数に加えると、回帰式としてはかなり馬鹿げたものではあるが、決定係数は0.9936、回帰係数は1.792(t値=4.46)と概ね同様の乗数が得られる。
  • この水準同士の回帰からタイムトレンドを抜くと、決定係数は0.8645、回帰係数は-5.562(t値=-11.01)となる。タイムトレンドを入れても水準同士の回帰というのはかなり馬鹿げたものだが、そこからt値が20近くあるタイムトレンドを抜いた回帰は、トレンド定常性を無視するということでさらに馬鹿げたものとなる。だが、反ケインジアンはその関係を基にケインジアンを批判しているのではないか。
  • また、2007q4以降で回帰を行うということは、住宅バブルの破裂や金融危機を考慮せずに回帰していることになる。
  • 試しにFREDでデータが利用可能な270データポイントすべてで前期差同士の回帰を行うと、決定係数は0.0185、回帰係数は0.456(t値=2.25)となる。即ち、流動性の罠に陥っていない時期が大半を占める期間で推計すると、乗数は概ね0.5となる。これもIMFの推計に近い結果である。

*1:これはいわゆるサーモスタット論を指しているものと思われる。

*2:Williamsonはここで C = [A + c(I + G)]/(1-c) の式を示している。cf. ここ