が生じた理由をEconospeakでピーター・ドーマンが考察している。ドーマンによれば、その理由は以下の2つあるという。
- ケインズ経済学は投資から消費に資源を振り向ける、というハイエクらに代表される見解
- 過剰消費→過少投資→過少雇用、というのがハイエクの見解だったが、それは論理的欠陥があったほか、資本主義の働きに対する清教徒的な見解に直観的な基礎を置いていた(そうした心の奥底での信念が無ければ、賢明な人々がそうした誤謬に陥ることは無かった筈)。
- その見解によれば、英雄的な消費節制こそが資本主義者のかけがえの無い美徳であり、繁栄に向けた成長の礎となる。
- 従って、節制を否定し現在の消費を重んじるケインズ政策は非難されるべきであり、長期的な視点の欠如はいずれ罰を受けることになる。
- 長期は新古典派、短期はケインズ経済学、という両派間の「ヤルタ協定」
これについてドーマンは以下の点を指摘する:
- ケインズもケインズ経済学も、将来より現在を優先するという傾向を感情的にも哲学的にも有してはいない。
- 「真の」ケインズ理論には短期と長期の区別は存在しない。
- 大恐慌や現在のように、経済は過少雇用の均衡に何年にも亘って陥ることがあり得る。
- そうした状態は今日の生活水準を犠牲にするだけでなく、将来のための投資も犠牲にしてしまう。