都市経済学の五原則

Mario Polèseという都市経済学者*1が書いたCity Journal記事で解説されている表題の原則をMostly Economicsが紹介している。その五原則とは以下の通り。

  1. 都市の大きさと場所は繁栄の主要な決定要因である。
    • それによって決定された都市の序列は時を経てもあまり変わらない。
  2. 都市の成長経路に大きな変動が生じる時、その原因は外部の出来事もしくは技術の変化であることがほとんどである。
    • 原則1ですべてが決まるわけではない。
    • 例えばライプツィヒは戦前は欧州第4位の都市だったが、鉄のカーテンが下ろされた結果、今日の第13位にまで転落した。
    • 技術の変化の例としては、製鉄技術が規模の経済に依存しなくなったことや他の金属ないし合金の市場参入によるピッツバーグ、エッセン(独)、バーミンガム(英)の凋落が挙げられる。また、ニューヨークにとってのエリー運河のような輸送技術の変化も重要。
  3. アクセスが便利で他地域との接続の良い都市は成長率が高い。
  4. あらゆる産業は都市にその影響を刻みつける。それは必ずしも良いものとは限らない。
    • デトロイトが良い例。大規模な工場や港湾施設はサンクコストとなり、企業の移転の可能性を狭める。その結果として雇用は安定するが、それはビジネスコストの上昇にもつながる。人々もその安定雇用を当てにして、自らの人的資本への投資や起業や他都市への移住を怠るようになる。
    • 上記から言えることは、都市は公的資金で工場の稼動を維持するような真似をすべきではない、ということ。それは言うは易し、行うは難し、だが…。
  5. 都市の盛衰のメカニズムについては未解明な部分が多いものの、良きにつけ悪しきにつけ政策は重要。
    • ニューオリンズの凋落はハリケーンカトリーナによってもたらされたわけではなく、腐敗や縁故主義や狭量な政策によってその遥か以前に始まっていた。教育への投資を怠ったルイジアナや、統治に問題を抱えたフランスのマルセイユも同様。逆に、ミネアポリスセントポールは地理的に不利な環境を跳ね返して成功した。
    • カナダ政府によるモントリオール・ミラベル国際空港の開港も失敗例。新空港は国際線、従来のドルバル空港は北米路線という住み分けを意図したが*2、それによってカナダにおけるハブ空港の機能がモントリオールからトロントに移ってしまった(∵ロンドンからクリーブランドに飛ぶのにミラベルからドルバルへ車を乗り継ぎたいと思う人はいない)。のみならず、それと軌を一にして金融機関や企業の本社も陸続とトロントに移転した。ミラベルは今は閉鎖されドルバル空港に路線は統合されたが、損失がもたらされたことには変わりない。
    • 一発逆転を狙う政策がうまくいくこともまずない。モントリオールは1976年のオリンピック開催で経済テコ入れを図ったが、スタジアム建設で市の財政が破綻寸前になった一方、長期的成長への効果は無かった。


またPolèseは、この五原則を提示する前に、都市を論ずるに当たって留意すべき点として以下の3点を挙げている。

  • 都市は経済や政治の単位ではなく、人々が集まる場所である。従って、例えばニューヨークを分析する場合は、ニューヨーク市ではなくニューヨークの都市圏を分析対象とすることになる。その際、都市圏の境界が時代と共に変化することに注意。それを忘れてしまうと、ニューヨークが1960年の1200万人から今日の2000万人まで人口が増加したという話から誤った結論を導き出すことになる。
  • シンガポールのような都市国家は別にして、自らの経済に大きな影響を及ぼす経済政策に都市が関与できる程度は限られている。それは上級の政府で決定されてしまう。
  • 都市が国や州のような経済や政治の単位ではないということは、人的資源に関して激しい競争に曝されていることを意味する。国や州を移るのに比べ、都市を移るのは容易。


この第2点の好例としてPolèseは、自らの居住するモントリオールにおける前述のミラベル国際空港の一件を挙げている。

*1:この人の論考は以前ここで紹介したことがある。

*2:カナダ版の成田と羽田!?