何がベル研を特別たらしめたのか?

以前ここで紹介したベル研を題材にしたジョン・ガートナー(Jon Gertner)による以下の本を、同研究所に一時期在籍していたというアンドリュー・ゲルマンが書評しているゲルマンブログ経由)。

The Idea Factory: Bell Labs and the Great Age of American Innovation

The Idea Factory: Bell Labs and the Great Age of American Innovation


それによると、ベル研の成功の特徴は、その平凡さにあるという。
ベル研には、クロード・シャノンを除けば並外れた天才はいなかった、とゲルマンは断じる*1。確かにウィリアム・ショックレーは特筆に値するし、ジョン・バーディーンはノーベル物理学賞を2回受賞した唯一の人物だが、彼らはフェルミファインマンフォン・ノイマンに匹敵するほどの天才ではなかった、とのことである。従ってベル研の数々の発見は、それを成し遂げた科学者と同程度に、研究所そのものに栄誉が帰せられるべきである、とゲルマンは言う。


では、何がベル研を特別たらしめたのか? ゲルマンは以下の3点を挙げる。

  • 技術を理解していた経営層が、科学者にきちんとした報酬を与えた。その報酬は大学よりも高かったため、優秀な科学者や技術者を集めることができたが、数億ドルといった水準ではなかったので、研究者が貰うだけ貰ってすぐに辞める、といったことはなかった。当時は今日のシリコンバレーにおけるような億万長者になる機会が少なかったため、今ならば別のところで働いていたであろう優秀な人材がベル研に集まった。
  • 大学には教育も研究もしない窓際族的な教授連中がいるが、(ベル研の所在地)マレーヒルには時間を潰せるようなものが何も無いため、出社すれば仕事をせざるを得ない環境になっていた。
    • シャノンやショックレーなど幾人かの研究者はキャリアの途中で生産性が急低下したが、いずれもマレーヒルを去った後のことだった。
  • 大学では平凡な研究者がうまく立ち回って研究費をがっぽり調達する、ということがあるが、ベル研では研究費ではなく電話という公共サービスへの貢献が研究のインセンティブとなっていた。そしてその電話サービスの改善のための研究が、他分野の技術の発展にもつながった。
    • (本では言及されていないが)ペンジアスとウィルソンが電話の雑音を減らそうとした過程で宇宙背景放射を発見したというのはその典型例。

なお、最後の点に関連してゲルマンは、ベル研の科学者は何十年も電話の雑音を減らそうと心血を注いできたが、近年の携帯電話の普及により、消費者が音質よりも便利さを求めることが明らかになった、というガートナーの指摘した皮肉な現象を紹介している。


またゲルマンは、同書の結論部から以下のような引用を行った上で、「This all sounds reasonable」と賛意を表している。

“It is now received wisdom that innovation and competitiveness are closely linked,” he writes. “But Bell Labs’ history demonstrates that the truth is actually far more complicated…creative environments that foster a rich exchange of ideas are far more important in eliciting new insights than are the forces of competition.”Although competition has been “superb” at bringing “incremental and appealing improvements”, Gertner argues, “that does not mean it has been good at prompting huge advances (such as those at Bell Labs, as well as those that allowed for the creation of the Internet, for instance, or even earlier, antibiotics)”.
(拙訳)
イノベーションと競争が密接に関連しているというのは、今や一般に受け入れられた世間知となっている」と彼(=ガートナー)は書いている。「しかしベル研の歴史は、実際の真実はそれより遥かに複雑であることを示している…新たな洞察を引き出すに当たっては、アイディアの交換が潤沢に行われるような創造的環境の方が、競争の力よりも遥かに重要なのである」。確かに競争は「人に訴求する逐次的な改善」をもたらす点では「非常に優れている」が、「そのことは(ベル研で成し遂げられたような、あるいは例えばインターネットを作り出したような、あるいはもっと時代を遡って抗生物質を生み出したような)大いなる進歩を促す点で優れていることを意味しない」とガートナーは論じている。


さらにゲルマンは、ベル研など幾つかの企業の研究所と深く結び付いた「サミット大学(Summit University)」をニュージャージに創立する構想が1960年代にあったが、1600万ドルというコストがネックになって実現しなかった、という同書に収められているエピソードを紹介し、実現しなかったことを残念がっている。そして、次のベル研は何処から現われるのだろう、と口を開けて待っているのではなく、社会として次世代のMITを創り出し支援する方向に向かうべきではないか、という提言を行っている。

*1:この辺りの判断は元の本に記述されていたのか、それともゲルマン独自の判断なのかは不明。