中銀の独立性と財政規律とティンバーゲンの定理

今日は最近の日銀の独立性を巡る議論を巡ってふと思いついたことをメモ的に書き留めておく。素人の思いつきなので、あくまでもそのつもりで読んでいただければ幸甚。


日銀の独立性を崩すことには、以下の2つの功罪がある。


日銀の独立性を重視する人は、後者のマイナスの帰結が必ず生じるので、前者のプラス効果は諦めて、この問題に手を出すべきでない、と言う。


しかし、このように日銀の独立性を崩すことにプラス・マイナスの2つの効果があるということは、そもそも、日銀の独立性という1つの政策手段に、物価安定と財政規律の2つの目的を持たせている、というティンバーゲンの定理に違背した状態にあることに起因しているのではなかろうか。とすると、経済学の観点から考えるべきなのは、この違背状態を解消するためにどのような制度ないし仕組みが考えられるか、ということではないだろうか。


素直に考えれば、日銀の独立性は日銀の本来の目的である物価の安定という目的に割り当て、財政規律には別の政策手段を割り当てる、というのが筋のように思われる*1。もしそうした振り分けが明確化していれば、日銀が国債を市場から買い入れようが政府から直接引き受けようが、あくまでも物価安定の手段として財政ファイナンスないしマネタイズを実行しているとしか見做されず、財政規律の問題と結び付くことはない(財政側にとっては、そうした買い入れは好景気による税収増と同様に恩恵とはなるが、それに頼ろうという誘因は別の政策手段の確立によって断ち切られている)。いわゆるアコードは、そのような仕組みを導入しようとする試みとして位置づけられるだろう。


ただここで問題になるのは、物価の安定にはインフレ抑止とデフレ抑止の2つの側面がある、という点である。両者を分けて考えるならば、上で、日銀の独立性を物価の安定という目的に割り当てる、と書いたことは、日銀の独立性という1つの政策手段にインフレ抑止とデフレ抑止の2つの目的を持たせている、ということになり、やはりティンバーゲンの定理に違背した状態が継続してしまう。そして周知の通り、日銀の独立性はインフレ抑止には優れた効果を発揮するが、デフレ抑止の手段としては極めて無力、ないし逆効果さえ発揮する。この問題に対する一つの解が、インフレ目標であり、インフレ率の目標値を掲げることによって、物価安定目標のインフレ抑止とデフレ抑止の2つの側面への分離を抑え、目的を一つに統合する、ということになる。


あるいは、インフレ抑止には日銀の独立性を割り当て、デフレ抑止にはまた別の手段を割り当てるべき、という考え方もあるかもしれない――例えばインフレ状況では日銀の独立性を堅持するが、デフレ状況に陥ったら日銀の独立性を停止し、財金一体となってデフレ脱却に取り組む、という考え方である。この点についてはまだいろいろとアイディアを検討する余地がありそうに思われ、財政規律の問題が絶対起きるから、はい、ここで思考停止、ハイパーインフレが絶対起きるから、はい、ここで思考停止、これ以上進むのはバカフラグ、で済ますのは経済学的な探求を十分に尽くしていないまま話を打ち切っているようで、少し勿体無い気がする。



[11/25追記(関連エントリ)]
シニョリッジを利用したインフレ策については賛否両論あると思うが、小生がその可能性を最初に論じたのは2年半前(奇しくもこの時も岩本康志氏のエントリを受けた流れだった)。最近の英国での議論についてはここここを参照。

*1:[11/26追記]それは、こちらのブログエントリで解説されている「ある政策目標があった場合には、副作用への懸念はいったん切り離してその目標を達成するためにもっとも安上がりな手段をもちいるべきである」というマンデルの定理にも適うように思われる。