Economist's ViewのMark Thomaが、このエントリでStephen Williamsonのコチャラコタ批判を揶揄する一方で、こちらのエントリではその流動性の罠に関する考察を称賛している(後者のリンク先のWilliamsonエントリはこちらで邦訳されている)。
ただ、その2つのWilliamsonのブログエントリでは、共に、彼のある考えが貫かれているように思われる。その考えとは、(以前ここやここで紹介したような)人々の期待や予想という経路への徹底した不信である。その点は、コチャラコタの「変心」を批判したこのエントリの以下の文章に良く表れている。
Monetary policy should respond to forecast inflation, not actual inflation. You would think Kocheralakota would know better. Does a forecast give us any more information than what is in the currently available data? Of course not. It's the currently available data that we use to make the forecast. Further, the "best possible forecast of inflation" is not very good, in general, and the Fed's forecast of inflation is suspect. Any economic forecast is 90% judgement and 10% model, and the judgement of Fed forecasters is going to drive the forecast to something that justifies current policy actions. Arguing that the the Fed's forecasts could justify a more accommodative policy than what we already have is nonsense.
(拙訳)
- (コチャラコタの主張)金融政策は予測されたインフレ率に反応すべきであり、実際のインフレ率に反応すべきではない。
- コチャラコタはもっと分かっているものだと思っていたのだが。予測が現在利用可能なデータに含まれているものより多くの情報を与えるだろうか? もちろん与えない。予測に当たって使うのは、現在利用可能なデータなのだ。また、一般的に言って、「能う限り最善のインフレ予測」はそれほど良いものではなく、FRBのインフレ予測は疑わしい。すべての経済予測は90%の判断と10%のモデルから成り立っており、FRBの予測者の判断は現在の政策行動を何かしら正当化する方向に予測を動かすだろう。FRBの予測により現行よりも緩和的な金融政策が正当化される、と論ずるのは馬鹿げている。
ちなみにこの前段では、インフレ率が低いかどうか、という点について論じているが、あくまでもどの時期のインフレ率を見るかという話に終始しており、期待インフレ率という概念は端から念頭に無いようである。従って、期待インフレ率を上昇させて流動性の罠を抜け出す、という考えもWilliamsonにとっては論外ということになる。
こうした立場は現代マクロ経済学の中でも異端のように思われるが、Thomaを含め、その点についてのWilliamsonの独自性を正面から論じた人はあまりいないようである。