需要不足の解決策としての構造改革

ジョージ・W・ブッシュ政権下でCEA委員長を務めたエドワード・ラジアーが、ジャクソンホールで失業について報告したが、それが意外にも需要不足を認めるものだった、としてMark Thomaクルーグマンが好意的に取り上げた。


それに対しAndolfattoが、いや、ラジアーは失業が構造的なものではないとは言ったが、需要不足を認めたわけではない、と反論した。ThomaがソースにしたWSJブログ記事の記者が素人だったため、需要不足という言葉に翻訳してしまったが、ラジアー自身はその言葉は口にしていないはずであり、論文にもその言葉は見当たらない、というわけだ。しかし、コメント欄にThoma自身が降臨し、別のWSJ記事をソースとして示すに及ぶと、まあ、そういうことなら実際にそう言ったのかも知れないが、ただ、その需要不足というのはケインジアン的な意味では無いだろう、と急に歯切れが悪くなっている。


往生際が悪いという気もするが、ただ、Andolfattoが自らの主張の根拠としたブルームバーグインタビューでは、確かにラジアーは金融財政政策の出動による問題の解決を否定し、長期的な経済の体質強化(低い税率、適切な貿易政策、財政の健全化)を解決策として推奨している。Andolfattoの失敗は、それを単純に需要不足の否定に翻案してしまったことにあるのだろう。需要不足の解決策としての金融財政政策の否定、というようにラジアーの主張をまとめていれば、Thomaに突っ込まれてバツの悪い思いをすることもなく、かつ、ラジアーとThomaやクルーグマンらとの主張の違いを浮き彫りにできたはずである。


このように需要不足を認めつつも、その解決に金融財政政策を用いることに否定的で、経済の体質強化による解決を目指すべきと主張する考え方は、最近ではケネス・ロゴフも強く打ち出している。マシュー・イグレシアスが揶揄しているように、2年半前にロゴフは英国の緊縮策を支持したのだが、今は、「元々自分は長期的成長率を上昇させる見返りの高いインフラ整備計画には賛成だった」と言っている。数年間の高インフレによる実質賃金や実質住宅価格の低下、および債務軽減も経済の助けになるものの、解決策の本筋は長期的な構造改革であり、短期的なケインジアン政策はNG、というのがロゴフの立場である。