というタイトルの論文をMichael Bordoが書いている(原題は「Could the United States Have had a Better Central Bank? : An Historical Counterfactual Speculation」;Mostly Economics経由)。
Bordoの反実仮想的考察によると、その機会は以下の2つあったという:
- 第二合衆国銀行がアンドリュー・ジャクソン大統領によって
19361836年に解体されることなく中央銀行として存続した場合 - 連邦準備制度がピーター・ウォーバーグの1910年の当初提案通りのデザインで設立されていた場合
1番目の第二合衆国銀行は、Bordoによれば、その最後の総裁のニコラス・ビドルの下で、ビドルとジャクソンの銀行戦争(Bank War)が勃発する十年前には、第一級の中央銀行に発展していたという。ビドルは金融理論の真髄を理解しており、多くの点で同時代のイングランド銀行の先を行っていたとの由。
仮に第二合衆国銀行が存続していたならば、カナダのような全国的な支店銀行制を採用していただろう、とBordoは言う。また、第二合衆国銀行はイングランド銀行のような最後の貸し手としての役割を習得していたため、米国がカナダと同じ道を歩まずにやはりフリーバンキング制度の道に進んだとしても、恐慌を押さえ込み、支店網を通じて全国的な統一通貨を創造し続け、効率的な決済制度を維持し続けただろう、と彼は推測する。
そのように第二合衆国銀行が他の先進国の中央銀行と同様の発展を遂げていたならば、20世紀の歴史は変わっていただろう、とBordoは言う。即ち、真正手形仮説に毒されておらず、フリードマン=シュワルツが指弾した欠陥とも無縁だった中央銀行は大恐慌の発生を抑止していただろう。その結果、第二次世界大戦も無く、ケインズ経済学も無く、1970年代の大インフレも無かったかもしれない、との由。
2番目のウォーバーグ案については、以下の3点が実際の法案に反映されなかったという。
- 銀行パニック時の最後の貸し手としての役割、即ちバジョット・ルールの取り込み。
- 金融の不安定を招き得る銀行以外の組織(信託銀行など)についての考慮。
- そうした組織や会員以外の州法銀行はFRBのサービスを利用できない仕組みになってしまった。
- 会員銀行が準備銀行で再割引可能な融資や証券の種類や満期が制限された。
- 最終的にほぼそのままの形で成立した法案を書いたカーター・グラスやH・パーカー・ウィリスは真正手形仮説の信奉者だった。