日銀は白い呪術師を必要としているか?

マーク・カーニー・現カナダ銀行総裁が次期イングランド銀行総裁就任の打診を受けたという報道を読んで(ただし後に両者ともその報道を否定)、中央銀行総裁の人事もサッカーの監督みたいになってきたな、と思ったが、同じような感想を抱いた人がThe Atlanticで以下のように書いているThe Big Picture経由)。

Great Britain gets a lot of things wrong, like food and spelling. But here's something they get right: They're willing to poach the best central bankers from around the world for the top spots at the Bank of England.
The UK is hardly alone on this. They're just particularly aggressive about it. Their latest target is Mark Carney, the current chief of the Bank of Canada. Before that, though, they snatched up American economist Adam Posen -- an expert on Japan's lost decade -- to serve on their monetary policy committee. You've heard of an international market for superstar soccer players and Olympic coaches. This is an international market for superstar central bankers.
(拙訳)
大英帝国は食事やスペリングなど多くの点でヘマをやらかしているが、彼らは次の点では正しい道を歩んでいる。即ち、最良の中央銀行家を世界中からヘッドハントし、イングランド銀行の首脳に据える、ということを進んで実行している。
そうしたことを行っているのは英国だけではないが、彼らは特に積極的なのだ。彼らの直近のターゲットは、現カナダ銀行総裁のマーク・カーニーだ。その前には、日本の失われた十年の専門家である米国の経済学者アダム・ポーゼンをピックアップし、金融政策委員会に加えた。サッカー選手のスーパースターやオリンピックの監督の国際市場というものを耳にしたことがあるかもしれない。これは中央銀行家のスーパースターの国際市場なのだ。

この記事を書いた記者(Matthew O'Brien)は、そうしたスーパースターの例として、スウェーデン中央銀行(リクスバンク)副総裁のスヴェンソンを挙げている。そして、そうしたスーパースターが、8000億ドルのGDPギャップの継続期間を5年からその半分に短縮することができるならば、その人は2兆ドルの価値があることになる、というラフな計算を示している。仮にその計算が少し大風呂敷に過ぎるとしても、数千億ドルの経済の損失を防ぐという数字ならば十分に現実味がある。その場合、その人に年間百億ドルを払っても良いのではないか、と(半ば冗談、半ば本気で)書いている。


その上で、一人のスーパースターを雇うだけではなく、ドリームチームを作り上げるべきなのかもしれない、として以下のように書いている。

As L.A. Galaxy fans can tell you, bringing in one (albeit, overrated) superstar like David Beckham doesn't help much if his teammates are only mediocre. We'd need to create a Federal Reserve board equivalent of the Super Friends for Svensson to make the biggest difference. We might even find out that we already have a superstar in Bernanke in that scenario.

Central banking should be a superstar profession. The difference between a top central banker and an average one can be astronomical, particularly when conventional policy is impotent. An efficient market would pay them accordingly. If the United States spent $10 billion assembling a central banking fantasy lineup of Lars Svensson, Stanley Fischer, Adam Posen, and Christina Romer, it would probably be a phenomenal investment. It'd pay for itself many, many times over. The biggest challenge is changing the norms around central banking. We shouldn't just consider the top American economists for the top spots.
We're a nation of immigrants. The Federal Reserve should reflect that.
(拙訳)
LAギャラクシーのファンが知っているように、デビッド・ベッカムのような(過大評価気味とはいえ)一人のスーパースターを雇い入れても、そのチームメートが凡庸ならばあまり効果は無い。最大の効果をもたらすためには、我々はSuper Friendsに匹敵する連邦制度準備理事会をスヴェンソンのために作り上げる必要がある。そのシナリオにおいては、バーナンキというスーパースターが既に我々の手元にいる、ということに気付くことになるかもしれない。
中央銀行業はスーパースターの職業であるべきである。最高の中央銀行家と平均的な中央銀行家の差は天文学的であり、伝統的政策が不能となった場合は特にそうである。効率的市場ならば彼らに然るべく報いるであろう。もし米国がラース・スヴェンソン、スタンリー・フィッシャー、アダム・ポーゼン、クリスティーナ・ローマーという中央銀行の夢の顔触れに100億ドルを費やすならば、それはおそらく画期的な投資となるだろう。それは投資額の幾層倍もの見返りを生むに違いない。最大の課題は、中央銀行に纏わる基準を変えることである。我々は米国の最高の経済学者だけをその首脳人事の対象とすべきではない。
我々は移民の国なのだ。FRBもそれを反映すべきである。


またO'Brienは、FRBやECBやBOEのようなビッグチームを率いる前に、経済学者は小さなチームでその能力を証明するべし、と書いたマット・イグレシアスの記事に賛意を表すると同時に、スウェーデンに含むところはないが、スヴェンソンにはスウェーデンの中銀は役不足なのではないか、と述べている。ちなみに同記事でイグレシアスは、バーナンキが議長になって学者時代と考え方を変えたにせよ、あるいは(ローレンス・ボールの言うようにFRBの専門職員の抵抗に怯んでしまっただけなのにせよ、自分の学説を実地に適用することに失敗したという彼の事例は、学者が実務経験を積むことが極めて大事であることを示した、として以下のように書いている。

Promising academic monetary theorists should probably get tryouts at small countries and only come to DC or Frankfurt once they've proven themselves. The past five years, meanwhile, suggest that the ECB, Bank of Japan, and Federal Reserve should be scrambling to hire monetary policymakers from countries such as Israel, Australia, Sweden, Canada, and Switzerland that have succeeded in stabilizing their macroeconomies while larger monetary units have failed.
(拙訳)
おそらく将来有望な学界の金融理論家は、まずは小国で適性を試して、そこで自分を証明した後に初めてワシントンDCやフランクフルトに来るべきなのだ。半面、過去5年間の出来事が示唆しているのは、ECBや日銀やFRBは、通貨大国の失敗を尻目にマクロ経済の安定化に成功したイスラエル、オーストラリア、スウェーデン、カナダ、スイスのような国から金融政策当局者を雇い入れるために争奪戦を演じるべき、ということである。

ただ、そうした成功者は、中小国だからこそ腕が振るえた、という面があるかもしれず、大国の金融政策を任されても同様の成功を収める保証は無い、という気もする。日本の場合も、かつて高橋是清という存在自体がブラックスワンのようなスーパースターがいて、高橋財政という中央銀行と大蔵省の個々の枠組みを超えた政策を実施したわけだが、それは当時の日本だったから可能だった、という側面が――高橋と現在の金融政策当局者とのastronomical differenceを別にしても――あるのかもしれない。