結婚と経済決定論

昨日は伝統的ケインジアン経済学と景気回復の関係を巡るクルーグマンとタイラー・コーエンの衝突を紹介したが、7日に紹介した結婚と貧困の関係を巡っても両者は衝突している。といっても、そこで取り上げたブルッキングス研究所の報告そのものではなく、チャールズ・マレー(Charles Murray)の下記の本が衝突のテーマとなっている。

Coming Apart: The State of White America, 1960-2010, Library Edition

Coming Apart: The State of White America, 1960-2010, Library Edition

実はブルッキングス研究所の報告でもこの本に言及しており、その内容を以下のようにまとめている。

Charles Murray's new book, Coming Apart: The State of White America, 1960-2010, argues that the decline in marriage, and the concurrent decline in work, is the product of changes in values or social norms that have eroded both industriousness and marital values.
(拙訳)
[同書は]既婚率の低下、およびそれと並行して生じた就労率の低下を、勤勉さと結婚の価値を低下させた社会的価値観ないし社会規範の変化の産物と論じている。

その上で、それは実証結果に適合していない、と批判している。


クルーグマンも一連のブログエントリ(ここここここここここ邦訳])でマイク・コンツァルデビッド・フラムを援用しつつ同書への批判を繰り広げ、さらに直近のOp-ed邦訳)でもこのテーマを取り上げている。


これに対しコーエンは、クルーグマンらの論調を経済決定論(economic determinism)の突然の流行、と茶化しブライアン・カプランのエントリを健全な反応として評価している*1。そこでカプランは、ここで紹介した清掃員とメイドの結婚の勧めと同様の議論を繰り返し、結婚すれば家計収入は上昇するのだから経済的合理性からは結婚する方が得、と論じている。そして、ある種の人々が結婚しないのは、自分の分を弁えずに選り好みをするためではないか、そういう人々は仕事も選り好みするので結局貧乏で独身となるのだ、と論じている。

*1:ただし後続のエントリでは、上記のクルーグマンの一連のブログエントリのうち最後のものについては評価している。また、既婚率の低下は女性の収入の上昇が関係しているのではないか、とある意味至極真っ当なことを論じたマシュー・イグレシアスも併せて評価している。