NYTがサマーズのインタビュー記事を載せているが、手頃な長さなので訳してみる(Economist's View経由)。
- インタビュアー
- 経済について夜中に冷や汗をかくようなことは何ですか?
- サマーズ
- 非熟練労働者の職は中長期的にどこからもたらされるのだろうか、ということを懸念しています。25歳から54歳の間の男性の5人に1人が働いていません。経済が回復した後も、それは6人に1人に留まると予測されています。1960年代はそれは20人に1人でした。このことが社会に与える影響は極めて大きなものです。
- インタビュアー
- その6人中1人はどうなりますか?
- サマーズ
- 貧困は様々な影響をもたらします。政府の障害者向け支出、犯罪、子供たちが育つ環境に影響を与えるのです。
- インタビュアー
- あなたは国家経済会議(NEC)を昨年末まで率いていました。私の理解では、NECの委員長は様々な経済学者の意見を公平に大統領に伝えることになっています*1。しかし、ノーベル賞受賞経済学者であるジョセフ・スティグリッツは、あなたが自分の気に入らない意見を無視すると言っています*2。あなたは様々な意見を大統領に伝えることに腐心しましたか?
- サマーズ
- 最初にこの仕事を引き受けるように大統領から要請があった時、私は確固たる意見を持っている人間だ、と彼に言いました。また、彼にすべての見解を伝えると同時に、各見解を可能な限り効率的に伝えるよう最大限努力する、とも言いました。ただ、もしグループの一体感を最大にしたい*3というのが彼の望みならば、私は適任ではありませんでした。彼の回答は、この危機の中、私にこのポジションに就いて欲しい、というもので、私はその答えに満足しました。
- インタビュアー
- 財政刺激策として1.2兆ドルが必要というクリスティーナ・ローマーの予測が、この件に関する大統領向けのメモに含まれていなかった、という話を読みましたが*4。
- サマーズ
- 財政刺激をやり過ぎるという危険性は無く、経済学的観点からは可能な限りやるべき、ということは大統領に伝えられています*5 。この件が話し合われた会議において、財政プログラムの規模が大きいほど乗数効果も大きい、ということは完全に明確にされていました。制約は政治的なもので、その制約が実際に厳しかったことは、最終的に成立した法案が大統領が当初求めたものの70ないし80%の規模だったという事実に現われています。
- インタビュアー
- もし1.2兆ドルが支出されていたら今の経済はどのようになっていたでしょうか?
- サマーズ
- それは表面的な質問だと思います。というのは、実際に経済システムに1.2兆ドルを流し込もうとすると、あらゆる問題に直面するからです。すぐにも取り掛かることが可能な橋の建設計画を十分な数だけ見つけられるか、といったことです。ただ、財政プログラムの規模がもっと大きかったならば、回復はもっと速やかに進んだでしょう。それが、我々が実際に成立したものよりも大規模な財政プログラムを唱えた理由です。
- インタビュアー
- 「インサイド・ジョブ*6」や「フロントライン*7」といったドキュメンタリーにおいて、あなたはクリントン政権において経済危機の種を蒔いた主役級として扱われています。あなたはデリバティブの規制に反対し、銀行のビジネスへの規制を大いに緩和することになったグラス=スティーガル法の撤廃を支持しました。それらのドキュメンタリーがあなたをそのように扱ったことは的外れですか?
- サマーズ
- まあ、そうした映画で伝えられるよりも、話はもっと複雑なのです。例えばカナダは、規制が成功した国として良く挙げられます。しかしカナダには、米国のグラス=スティーガル改革で規制対象となったのを軽く超えるようなユニバーサルバンキングが存在しています。米国で問題となった金融機関、すなわちベアスターンズ、リーマン、ファニーとフレディは、グラス=スティーガルとは無関係です。10年前の時点で、その後にデリバティブ関連で起きた出来事をすべて予見できたか、と訊かれれば、答えは間違いなくノーです。過去10年間に見聞きしたことを前提に織り込めるならば当時の私は違う行動を取っていただろうか、と訊かれれば、答えは、当然、です。ブッシュ政権は、既存の法律に基づいて対応することに失敗したわけですが、我々が撤廃した法律が残っていたとしたら、それに基づいて政府機関のどれかを動かしてデリバティブ問題に対処させたであろう、という話は説得的でしょうか? 私に言わせれば、そうしたことはまず起きなかったでしょう。
アンドリュー・ゲルマンがこの記事に反応し、以下のようなことを書いている。
- 十分な橋の建設計画が無かったとは信じ難い。アメリカのインフラが崩壊しつつあることは何十年も前から話題になっていたではないか。その気になれば、補修すべき橋や水道管を数多く見つけられたはず。
- サマーズが以下の2つを同時に主張しているのも気になる。
- 支出対象となるプロジェクトは十分に存在しなった。
- もっと支出の規模が大きければもっと良い結果を得られた。
- 政権の最も有名な経済学者が第一の点を主張しているとなれば、第二の点に人々が懐疑的になるのは無理からぬことではないか!
- サマーズは何が問題になっているかを分かっていない。もし経済が問題無く回復していたならば、彼の会議の進め方など誰も気にしない。しかし、経済の回復が思わしくないのだから、彼や彼以外のオバマ政権のチームがもっとうまくやれたのではないか、と思うのは自然なこと。そして、2008年の金融危機を考えれば、サマーズやグリーンスパンらが本当に「正しい答えを求めること」ができたのかを疑問に思うのも納得できる話。政策の実施当時でさえ、不同意の声はあったのだから。
- ここでサマーズは2つの役割の狭間で引き裂かれているように見える。研究者としての彼は、確信が持てないことを認め、より良い方法を見い出したいと考えている。政治家としての彼は、決して降参せず、1インチたりとも譲らない、というドグマに囚われている。結果として、自由に思索を巡らせ仮説を組み立てる学者と、確信に満ちた雰囲気を漂わせる政治家、という最悪の組み合わせになっている。
- 彼はマクロ経済学者としての判断についてのみ述べ、十分な橋の建設計画があったかどうかという話は他の専門家の意見として紹介すべきだったのではないか。ただ、この点はインタビュアーのせい(=話の引き出し方、テープからの記事の起こし方の問題)かもしれないが。
また、Economist's ViewのMark Thomaは、そもそも財政支出は収入の落ち込みを埋めるのに手一杯であり、効果が期待できるものではなかった――だが、やらなければもっとひどいことになっていた――という点を指摘している。
[5/16追記]「タイトルの元ネタがわからない」というはてぶコメントを頂いたが、こちらを参照されたい。ここでは学者としてのサマーズと政治家としてのサマーズの二面性に掛けたつもり。ちなみにゲルマンのエントリのタイトルは「1/2 social scientist + 1/2 politician = ???」。
*3:原文では「maximize the feeling of kumbaya in the group」という表現が使われている。Wikipediaによると、kumbayaというのは1930年代の黒人の精霊歌で、1960年代にジョーン・バエズが歌ったことによってフォークソングとして甦り、ボーイスカウトなどがキャンプファイヤーで歌う定番となったとのこと。
*5:cf. このエントリで紹介したように、「市場は過剰反応する。よって政策も過剰反応気味に実施する必要。」というのがサマーズの持説。