ソローになり損なった男

一昨日昨日に引き続き、IMFのソローインタビューから、気になったトピックを拾ってみる。


経済学の理論では、ほぼ同時に発見したにも関わらず、そのうちの一人の発見者だけが有名になるという事象が時々見られるが*1、ソローの成長理論でも同じことがあったと言う。その有名になれなかった同時発見者の名はトレバー・スワン。ソロー自身はスワンの業績を認識しており、彼の仕事が忘れられないために「惜しみない努力(generous efforts=スワンの娘で著名な貿易経済学者のバーバラ・スペンサーの言葉)」を払っているとの由。
またソローは、2007年の論文で、なぜソロー自身の業績の方が有名になったかについて考察し、以下の3点を挙げたとのことである。

  • スワンが特定の生産関数(コブ=ダグラス)でモデルを提示したのに対し、ソローが置いたより一般的な前提の方がより簡明で分かりやすかった(実はスワンも最初から一般的なケースを念頭に置いていたが、そのことは死後出版された遺稿によって初めて明らかとなった)。
  • スワンのモデルが提示された際、重要な付録として「資本に関する覚書(Notes on Capital)」が付けられたが、それはジョーン・ロビンソンやピエロ・スラッファらのケンブリッジ資本論争への反応と見做された。そのため、その論争への経済学者への興味が失せると同時に忘れられる羽目に陥った。
  • ソローは米国人で「Quarterly Journal of Economics」に投稿したが、スワンは豪州人でソローに遅れること10ヵ月後に読者数のより少ない「Economic Record」に投稿した。

*1:ex. ケインズVSカレツキ;ウイリアム・シャープVSヤン・モッシン&トレイナー&リントナー。