昨日冒頭部分を紹介したマッキンゼーのソローインタビューから、残りの部分の概要をまとめてみる。
- 世界で最も優れた経営を行っている先導的な企業と競争することは、自分の経営を優れたものとするだけでなく、規模の経済を得ることにもつながる。というのは、世界的な優れた経営というのは、国際市場を必要とするものだからである。
- 経済学では、企業は利益を追求するのだから自然と最善の経営手法を採用するものと考えていたが、それは間違っていた。
- そうしたミクロのセクターレベルの観点は、産業組織論や比較優位論ならびに比較優位と生産性の関係の研究において現在の経済学に部分的に包摂されている。
- MGIのセクターレベルのアプローチが有望な研究分野は、サービス部門の生産性の研究。
- そもそもサービス部門内、およびサービス部門と財生産部門を比較した相対的な資本集約度についても我々は良く分かっていない。
- サービス部門の資本集約度は低いという論考を書いている時に歯医者に行ったところ、歯医者のオフィスはこれまで目にした中で最も資本集約度が高い500平方フィートであることに気付いた。
- サービス部門の生産性の研究がMGI内外でなされていないわけではないが、先進国の7割以上の人がサービス部門で働いている割には進んでいない。
- サービス部門の中でも影響が大きいのは卸売業と小売業。雇用人数が多いため、僅かの生産性の違いも国の生産性に大きく影響する。特に医療、教育、保育といった対個人サービスの研究を進めるべきではないか。
- そもそもサービス部門内、およびサービス部門と財生産部門を比較した相対的な資本集約度についても我々は良く分かっていない。
- マクロ経済学者として将来予測は避けたいが、2つのことは確かだ:
- 長期の技術展望について自分はボブ・ゴードンほど悲観的ではない。彼ほどその先行きに確信を持っていないので。
- 彼は時間労働あたりの実質GDPよりは、技術が生活にもたらす変化に関心を持っているようだ。我々は生産性を劇的に改善する技術進歩を得るかもしれないが、それは、車輪やゴードンの好きな水洗トイレほどには生活に変化をもたらさないかもしれない。
- サマーズなどが唱える長期停滞論は、来る50年間はこれまでの50年間ほど経済を完全稼働させるのが難しいかもしれない、という見方だ。技術的に表現すれば、完全稼働と両立する実質金利はマイナスかもしれない、というのが一つの言い方になる。これはアルヴィン・ハンセンの古典的な長期停滞論だ。
- (成長を加速させるために企業経営者ができることはあるか、という質問に対し)自分としては奇妙なことだが、ここではミルトン・フリードマンの見解を取りたい。「経済の健全性にとって何が良いことか?」と問うのは個々の経営者の仕事ではない。効率性と利益性を高めるのが彼らの仕事。政治的不確実性とやらによって最高経営者が立ちすくんでいるならば、それは集団行動の失敗であり、怖気づいているだけだ。
- (ITはどこにでも見られるが生産性の数字にだけは見られない、という1980年代のコメント[いわゆるソロー・パラドックス]について問われて)それは誰かの本の書評をしている時にしたコメントだと思うが、それは当時は真実であったが、今はもはや真実ではない。今は情報技術の影響を辿ることができる。振り返ってみれば、情報技術を製造業や小売業や卸売業といった大部門で効果的に使えるようになるまでには、おそらく必然的にラグが生じるものなのだ。