ジョブギャランティはケインズ主義的か、マルクス主義的か?

クリス・ディローが、ジョブギャランティ計画の長所として以下を挙げている

  • 仕事を提供することにより、失業に伴う様々な苦難を軽減させる。
  • 不況期に総需要を押し上げ、好況期に縮小するという、ケインズ主義的な自動安定化装置としての機能がある。
    • 安定した高需要の見通しを通じて、企業に投資を促す。
    • 一種の賃金主導の経済成長を促す。
      • 賃金と労働条件に対するフロアとしての役割を演じることにより、雇用者に労働節約的な新技術に投資して生産性を上げることを促す。その意味で、21世紀におけるジョブギャランティは、1950年代と60年代に強力な労働組合完全雇用が果たした役割を果たすことになる。


一方、欠点として実行可能性を上げ、そこで一昨日紹介したTim Taylorのエントリにリンクしている。また、右派的な政府によって単なるワークフェアに堕する危険性も指摘している。

さらに、以下のケインズ主義的というよりはマルクス主義的な性格により、資本家をむしろ委縮させてしまう可能性も指摘している。

  • 資本主義的な雇用をクラウドアウトしてしまう可能性
    • ただしこれについては、利益をもたらす活動だけが経済価値を持つわけではなく、ジョブギャランティで提供が想定される非市場的な仕事にも経済価値はある、という反論が考えられる(cf. Kate Aronoff)。
  • 完全雇用においては、資本家が労働者の賃金を抑制して利益を増やす道が閉ざされるほか、雇用を労働者に与えたり奪ったりする半神としての地位も剥奪される。
    • このことは、資本家に労働条件と生産性の改善を促し、より協調的で効率的な資本主義をもたらすこともあれば(cf 50-60年代)、総需要の増加以上に利益率の低下の方が影響が大きいと資本家が判断して、彼らが単に店仕舞いしたり投資をやめてしまったりすることもある(cf. 70年代)。
  • 資本主義は資本家の需要に人々を合わせていたが、価値あるジョブギャランティは、労働者の需要(家族の世話や健康問題など)に仕事を合わせることになるはず。

こうした側面が強く出れば、ジョブギャランティは一種の過渡的需要(transitional demand)となり、社会主義への一里塚になる、とディローは述べている。ただ、最終的にケインズ主義的になるかマルクス主義的になるかは本当に分からない、とも述べている。