ケンブリッジ資本論争では誰が勝ったのか?

昨日エントリではディーン・ベーカーによるクルーグマン批判を紹介したが、同じ点についてEconospeakのバークレー・ロッサーもクルーグマン噛みついた。ロッサーが槍玉に挙げたのは、ケンブリッジ論争で英国側が勝ったというのは間違い、というクルーグマンの認識で、サミュエルソン自身がロビンソンとピエロ・スラッファ(とパシネッティガレニャーニ)が正しかったと認めたという(ちなみにクルーグマンが名前を上げたカルドアは論争の主要な当事者では無かったとの由)。サミュエルソンは、reswitchingの可能性は要素所得配分の限界生産性理論を根本から――特に資本について――突き崩すものだと認め、論争をまとめた「Summing Up」論文を「経済理論の基礎は砂の上に建てられている」という文で締め括ったとのことである。


なお、コメント欄でロッサーは、ケンブリッジ論争で米国側が勝ったかのような印象が広まったのはソローに一因があったのではないかと推測している:

So, in 1966 Samuelson clearly accepted that the Cambridge UK critique was valid. It is not clear if Solow ever did, although he clearly had to at least theoretically, but not too long after this he basically went silent on the issue, which seriously undermined his Nobel Prize-winning growth model based on an aggregate production function, the sort of thing lying at the heart of nearly all RBD DSGE models. In effect what happened was that the critique was ignored, a "let's move on to estimating those aggregate production functions, folks, and pay no more attention to this unfortunate roadside accident." As time passed, only a few heterodox grad programs taught this stuff so that now very few really know what it was all about, and the absence of discussion of it and the widespread use of Solovian functions can easily lead one to conclude that somehow Cambridge USA "won" the debate. It may well be that this at least partly explains how it came to pass that Krugman fell into deep doo doo in his discussion of this matter.
(拙訳)
ということで、1966年にサミュエルソンは英国ケンブリッジの批判が有効だと明確に認めた。ソローが認めたことがあるかどうかは明らかではない。少なくとも理論的には彼は認めざるを得ないはずだったが、ほどなくして彼は事実上この件について口を噤んだ。この問題は、彼がノーベル賞を受賞するに至った成長理論モデルに深刻な打撃を与えるものであった。ソローのモデルはマクロ的な生産関数に基礎を置いており、ほぼすべてのRBC*1やDSGEモデルの根幹に位置するとも言えるものである。その後の展開では、批判は事実上無視された。「みんな、道端でのこの不幸な事故のことは忘れて、マクロ的な生産関数の推計に取り掛かろうじゃないか」というわけだ。時が流れ、やがてこの件を授業で教えるのは異端の大学院数校だけとなり、論争がどういったものだったかを知る者はほとんどいなくなってしまった。議論の不在と、ソロー関数が広く使われていることから、米国ケンブリッジがとにかく論争に「勝った」のだと思い込む人が出てくるのも無理はない。この件を論じたクルーグマンがドツボにはまったのも少なくとも部分的にはそれが理由だろう。


それに対しTom Hickeyというコメンターは、ソローのエッセイ「The last 50 years in growth theory and the next 10」から、ソローがロビンソンをやり込めたエピソードを引用した。そのコメントにロッサーは以下のように反応している:

Interesting, Tom, and consistent with my gut sense that Solow has taken a harder line than Samuelson did. It may be Solow who spread the idea that Cambridge USA won based on something like this anecdote, although offhand she says nothing about marginal products of capital as Solow claims she did, only that she allowed for the existence of a measurable aggregate capital. It should be kept in mind that Joan Robinson did write a book on growth theory that dealt with investment issues, so Solow's proclaimed triumph here looks a bit overblown.

But, it could be that Krugman got his ideas from some filter down from Solow, weak as Solow's claim appears to be.
(拙訳)
トム、興味深い、かつ、ソローがサミュエルソンより強硬だったという私の直感に合っている。こうしたアネクドートなどを基に、米国ケンブリッジが勝利したという考えを広めたのは、ソローだったのかもしれない。ただし一読する限り、資本の限界生産性について、彼女が言ったとソローが主張するようなことは彼女は何も言っていない。単に測定可能なマクロ的な資本の存在を認めただけだ。ジョーン・ロビンソンが投資の問題を扱った成長理論の本を書いたことは覚えておくべきだ。従って、ここでのソローの勝利宣言は少し大袈裟過ぎるのではないかな。
ただ、クルーグマンがソローのフィルタ濾しに彼の考えを得た可能性はある。彼の考えはソローの主張と同様に弱いように見える。


コメント欄には他にピーター・ドーマンやサンドイッチマンといったEconospeakの共同ブロガーも登場している。サンドイッチマンは、この論争は不確定性を確定的にモデル化できない、という話では無かったか、とコメントしている*2。一般的なモデルが間違っていることを示すのに特殊ケースのモデルを組み立てることはできるが、その特殊ケースのモデルを単純に一般化することはできない。あなたが持ち出したユニコーンユニコーンではないことは「本物の」ユニコーンを持ち出すことなしに証明できる、と彼はコメントしている。それに対しロッサーは、ケインズ的な不確実性はあまり関係ないのでは、と応じている。
ドーマンは、論争の際にスラッファ側が持ち出したモデルにも問題があり、その点をフランク・ハーンが指摘した、とコメントしている。その上で、資本の簿価(物としての資本)と時価(利益の流列の現在価値)が一致せず、話がトービンのqに帰着するということだけで、資本の需給が時間選好と資本の限界生産性で決まるという解釈を無効化するのに十分ではないか、と論じている。というのは、その解釈では実際の資本と金融の資本を混同しているからである。ドーマンは自著のミクロの教科書に実際にそのように記述したとの由。

*1:ここではRBDはRBCの誤記と見做した。

*2:cf. こちらのエントリのコメント欄で紹介頂いた論文。