経済学は科学か?

という議論がここ1週間ほど欧米ブロゴスフィアを賑わせている。きっかけは、Modeled BehaviorのAdam Ozimekのこのエントリらしい(ただ、このエントリも、その前の晩のTwitter上の議論を受けたものとの由)。


結構長いエントリだが、ごく簡単に要点をまとめると

  • 経済学における証明は不十分だと言われる。しかし、証明に関してそのような厳しい基準を経済学に適用するのであれば、他のあらゆる思想体系に関しても同様の基準で臨むべきだろう。そうした場合、医学、歴史、生物学、心理学、刑事裁判、気象科学といった分野における世間にとって重要な思想体系も、実は多くが薄弱な根拠に基づくことが明らかになるのではないか。
  • 経済学の中には、部分的には非科学的に見える過程もあるかもしれないが、科学的手続きにおけるすべての過程が科学的に見えるとは限らない。


この最後の点を受けて、クルーグマンは、確かにオールドケインジアンフィリップス曲線は実証によって葬り去られたが、RBCは実証によって否定された後も淡水学派で信奉されている、従って今の経済学は科学としての特性を失いつつある、と皮肉っている


一方、タイラー・コーエンは、そのクルーグマンが唱える流動性の罠理論が実証に基づいていないことを指摘して、やはり経済学は科学ではない、と(直接的な名指しは避けつつも)逆にクルーグマン揶揄している


また、ロバート・ワルドマンは、ケインズ自身が既にフィリップス曲線のような考え方に否定的だったことを指摘すると同時に*1フィリップス曲線はそもそも否定することが科学の証であるような仮説では無かった、従ってこの一例をもって経済学が科学であると論ずることはできないし、自分は経済学は未だ科学ではないと思う、という主旨のことを書いているEconomist's View経由のデロング経由)。
さらに彼は、同じエントリで

  • フィリップス曲線の否定は合理的期待の仮定を必須とする、と考えた当時の経済学者は論理上の誤謬を犯していた。合理的期待を置いていたら、フィリップス曲線のような推論はなされなかった、というのが正しい議論。
  • いかに多くの仮説をデータで否定しようとも、科学者たちが同じ結論に到達するとは限らない。

という指摘も行っている。

*1:正確には、そう指摘した昨年10/4のAngry Bearエントリにリンクしている。