低所得者層への安易な政策対応が経済危機の原因となった、というのはこのところラジャンが熱心に主張しているところであるが、その主張は当然のごとくクルーグマンやMark Thomaなどのリベラル派からは反発を買っている。ただ最近では、リベラル派以外からの批判もぼちぼち出始めているようで、アセモグルが年初のAEA大会でラジャンの見方に異論を唱えるプレゼンを提示した(アセモグルのHPより)。
その内容をProject Syndicateでサイモン・ジョンソンがまとめているので、以下に簡単にそれを紹介してみる(H/T Economist's View)*1。
- アセモグルの論点は三つ。
- 第一は、米国の政治家が低所得者層の有権者の選好ないし欲求に反応したという証拠はあるのか、という点。その点については決定的な証拠とは言えないかもしれないが、例えばプリンストン大学のLarry Bartelsの研究がある。それによれば、過去50年間に、米国の政治エリート層は中低所得者層の声を聞くのをやめ、高所得者層と同様の見解を持つようになったとのことである。
- 第二は、1990年代後半に米国で所得の不平等が増し、それに対し政治家が貸し出し基準を緩和することで対応したという証拠はあるのか、という点。これについては、確かに過去40年間に米国の不平等度は増したものの、タイミングがまったくこの仮説に合わない、ということが言える。
- 第三は、住宅購入に関して連邦政府の支援が果たした役割。確かに米国政府は、居住目的の住宅購入に対して、主に住宅ローン利払いの税控除という形でこれまで長いこと補助を提供してきた。しかしこの補助は、住宅ブームや馬鹿げた住宅ローン貸付が発生したタイミングの説明にはまるでならない。
なお、Stephen Williamsonもこの記事に目を留め、アセモグルの分析に賛意を表している。ただ、ファニーメイとフレディマックの下りについては、
Acemoglu seems to want to claim that the thrust of federal government policy was to "marginalize" the GSEs, and I don't think that is correct. Indeed, Fannie and Freddie are part of the phenomenon he is discussing. ・・・We can think of Fannie and Freddie as being run by another set of rich people at the top of the income distribution.
(拙訳)
アセモグルは、連邦政府の政策ではGSEを「脇に追いやる」ことに力点が置かれていた、と言いたいようだが、私はそれが正しいとは思わない。むしろ、ファニーとフレディは彼が論じている現象の一部だった。・・・ファニーとフレディは、所得の最上位層に位置する富裕層のある一団によって経営されていたと考えるべきなのだ。
という独自の見方を示している。
*1:ちなみにジョンソンの論説では、ラジャンではなくFCIC(Financial Crisis Inquiry Commission)の共和党少数派見解を仮想標的に据えている。ちなみにこの共和党四人組の見解については(これまた当然のごとく)クルーグマンがジョージ・オーウェルの1984年に準えて12/15エントリで激しく批判している(同エントリのリンク先も参照)。
*2:原文では1980年代となっていたが、文脈およびアセモグル資料のグラフから1990年代の誤記と判断した。
*3:アセモグルは、最上位1%以外の所得格差の拡大は「supply, technology and trade」によるものだろう、と述べている。