生産性上昇は労働需要を増加させるのか?

ちょうど1週間前のエントリでは生産性と失業に関する米ブログ界での議論の取りあえずのまとめを紹介したが、その議論の最中にNick Roweが面白いモデルを提示していた(ただし本人はごく標準的なモデルだと断っている;また短期ではなく長期モデルだということも断っている)。


そこでRoweは以下の2枚のグラフを提示している。

最初の図は、雇用を横軸、生産を縦軸に取って、生産関数と無差別曲線を描画したものである。

ここで生産関数は収益逓減を反映して凹関数となっている。一方の無差別曲線は消費(のための生産)と労働のトレードオフを表わしたものである。こちらの関数は、既に働いている時間が多いと、さらに余暇を犠牲にするのに見合う消費量も多くなるため、凸関数となっている。


2番目の図は、上記のグラフの各関数の傾きを描画したものである。

生産関数の傾きは労働の限界生産力であり、これは均衡では実質賃金に一致する。先述の収穫逓減性により、これは右下がりの曲線(図では直線)となる。また、無差別曲線の傾きは余暇と消費の限界代替率であり、こちらは右上がりとなる。両者はそれぞれ労働需要曲線と労働供給曲線と考えられる。


均衡では、最初の図で生産関数と無差別曲線が接する点に経済は落ち着く。2番目の図で言えば、両者の傾きが交わる点である。


今、技術革新によって生産力が増大し、最初の図で生産関数が赤線から橙線のようにシフトしたものとしよう。これは、2番目の図ではD0からD1へのシフトということになる。その場合、両図において無差別曲線も青線から水色線にシフトし、均衡点も(雇用、生産、実質賃金)=(L0,Y0,W0)から(L1,Y1,W1)に移動する。


このモデルを基にRoweは、以下の考察を提示している。

  • 生産関数の上方のシフトにより、2番目の図で労働の需要関数はD0からD1と右方にシフトしている。これは、生産性の上昇によって労働需要が増したことを意味する。多くの人は単純に生産性が上昇すれば労働需要は減少すると考え勝ちであるが、それは労働塊の誤謬(=労働力を固定した塊と考えることによる誤謬;Lump of Labour Fallacy)である。その誤謬では、産出量自体が変わることを見逃している。
  • Roweの描いた図では、労働供給曲線の左へのシフト幅が労働需要曲線の右へのシフト幅より少し大きいため、均衡の労働量がやや減少した半面、生産と実質賃金は上昇している。これは過去200年間に先進国で実際に起きたことである。別の選択肢としては、労働供給曲線をもっと大きく左にシフトさせて労働量を大きく減らす一方で、生産と実質賃金の上昇は小幅に留める、という道もあったかもしれない。しかし我々はその道を選ばなかった。ただ、現在の方向性に進む必然性は無かったし、将来もこの方向に進み続けるかどうかは分からない*1


さらにRoweは、生産関数のシフトについて以下の3つのケースを考察している。

  1. 横軸の労働量に関わらず均等に定率(10%など)だけ上方にシフトするケース。これが上図で描画したケースであり、実際にこれまで起きてきたこととほぼ整合的である。
     
  2. 横軸の労働量に関わらず均等に定額(リンゴ10個分など)だけ上方にシフトするケース。この場合、生産関数は上に平行移動するだけなので、その傾きである労働需要曲線は変わらない。そのため、得をするのは資本、土地、新技術の権利を保有している人たちだけ、ということに一見思われる。しかし、その得をした非賃金収入を得ている人々はますます労働供給量を減らすので、実質賃金が上昇するという効果がやはり生じる。
     
  3. 誰かが人間とまったく同じように働くロボットを発明し、10体製造したものとする。ロボットと人間を合わせた生産関数は変化しないが、人間の労働力だけを考えると生産関数は10人分左にシフトする。従って、その傾きは以前より緩やかになり、労働需要曲線は左にシフトする。そのため、得をするのは資本、土地、そしてロボットを保有している人たちだけで、賃金労働者の状況は悪化する。というのは、過去の歴史に鑑みた場合、ロボットにより得をした人々が、ロボットによる労働力増加以上に労働供給量を減らすとは考えにくいので、実質賃金が減少するという効果がどうしても生じてしまうからである。


このエントリに対し小生は、労働生産関数のシフトと無差別曲線のシフトには時間差があるのではないか、とコメントした。生産性の上昇に人々が気付き、その変化に合わせて余暇と消費の選好を調整するまでにはタイムラグがあるのではないか、というわけだ。その場合、最初の図で無差別曲線が青色のI曲線に留まったまま生産関数が赤線から橙線にシフトすると、経済は一時的に両者の二つの交点のどちらかに動くと思われる。上方の交点に移動した場合は、経済は好景気に湧くだろう。しかし下方の交点に動いた場合は、失業と生産減少という不況を経験することになる。ただ、その場合も、このモデルではあくまでも労働者の無差別曲線上のシフトなので、労働者が進んで働かないことを選択したように見える。これはまさにクルーグマンがリアルビジネスサイクル理論による恐慌の説明を「大いなる休暇(the Great Vacation)」と揶揄したことに相当するのではないか?

このコメントに対しRoweは、以下のように返答してくれた。

if prices and wages are perfectly flexible (or if monetary policy accommodates the increased Aggregate Supply by increasing AD) the economy should switch immediately to the new equilibrium. (And RBC theory says it does switch immediately).
(拙訳)
もし価格と賃金が完全に伸縮的ならば(あるいは、もし金融政策が総供給の増加を総需要の増加によって対応するならば)経済は直ちに新しい均衡に移るはずだ(そしてリアルビジネスサイクル理論は直ちに移ると断言している)。


またRoweは、他のコメンターへの返答でも、総需要不足の問題と労働塊の誤謬を区別することの重要性を強調している。

In the short run, when monetary policy is bad, and the economy is constrained by an excess demand for money and an excess supply of output, then, and only then, will it be true that an across-the board doubling of productivity will cause a halving of the demand for inputs. That's when the labour demand curve will not be the one I have in my model here. It will not be true that firms will demand labour at the point where VMP (or MRP) equals the wage. Because they can't sell the extra output. Even though the unemployed workers want to consume that extra output, and don't want to consume leisure.
And the biggest problem that all Lump of Labour Fallacy proponents have is that they are unable to distinguish between the short-run problem of a monetary exchange economy from the long-run consumption/leisure choice.
In the last 200 years, productivity has increased (say) ten-fold. If the LOL fallacy were correct, we would now have 90% unemployment. Whereas in fact, the unemployment rate shows no secular trend. Instead, GDP increased nearly ten-fold, with a small (voluntary) decline in hours worked. Empirically, the LOL fallacy has failed disasterously. The classical model sketched above has done very well.
My model above is explicitly a *long-run classical* model. It abstracts from the short-run problems that a monetary economy can face.
(拙訳)
金融政策が失敗し、経済が貨幣への超過需要と産出の超過供給に縛られている短期においては、そしてその時に限って、生産性が経済全体に亘って倍増すると、投入への需要が確かに半減するだろう。それは、労働需要曲線がここで私が提示したモデルに当てはまらない場合だ。その場合、企業の労働需要は、限界生産物の価値(=限界生産力)が賃金に一致する水準ではなくなる。というのは、追加的な生産を行っても、それを販売することができないからだ。たとえ、失業者が追加的な生産を消費したいと思い、余暇を消費したいと思わなくても、だ。
労働塊の誤謬に陥っている人たちが抱えている最大の問題は、この貨幣交換経済における短期の問題と、消費と余暇の選好という長期の話を区別できないことだ。
過去200年間に生産性は(大雑把に言って)10倍に伸びた。もし労働塊の誤謬が正しければ、我々の失業率は90%に達しているはずだ*2。実際には、失業率には趨勢的傾向は見られない。その代わり、GDPが10倍近くに増加し、労働時間は(自発的な形で)少し減少した。実証面から言えば、労働塊の誤謬は惨憺たる失敗に終わったのだ。上記で描いた古典派モデルは非常な成功を収めた。
上記の私のモデルは明示的な長期の古典派モデルである。金融経済が直面し得る短期的問題は捨象されている。

If the problem is a short-run deficiency in aggregate demand, which must be due to an excess demand for money, then the cure is to be found in monetary policy. Policies such as job-sharing, forced early retirement, etc., based on the LoL fallacy, are as misguided as the fallacy on which they are based.
(拙訳)
もし問題が短期的な総需要不足ならば、それは貨幣への超過需要によるものなので、解決策は金融政策に求められるべきである。ジョブシェアリングや強制的な早期退職などの政策は労働塊の誤謬に基づいており、その誤謬と同様に間違ったものである。

*1:その将来は労働量を大きく減らす方向に行くだろう、と予測したのがここで取り上げたケインズの「わが孫たちの経済的可能性」ということになるだろう。

*2:ちなみに小生は、200年ではなく一気に生産性が増えたら失業率はそこまで増加するのではないか、と以前論じた