自分を大物と思うなかれ

以前サミュエルソンが死去した際のクルーグマンの追悼文を抄訳したことがあったが(その後、VOXウォッチャーさんが全訳された)、2ヶ月半前の追悼式に際してクルーグマンが改めて追悼の辞を述べている。その後半部分が、経済学者のみならず一般の人々への教訓として面白いと思ったので、以下に訳してみる。

では、どのようにして彼はこれだけの業績を成し遂げたのか? もちろん、恐ろしく頭が良かったからだ。しかし、それだけではない。
私がこの偉大な人物と仕事部屋を共有していた時のことを話そう。私が最初から印象深く感じ、振り返ってみるとますます印象深く感じるのは、次のことだ。即ち、今世紀最大の経済学者は大物ぶることが無かった。
学界の著名な学者にとって――あるいはそれほど著名でない学者にとっても――これがどれほど異例なことかは、言うまでも無かろう。一握りの派生的な論文しか書いていないのに、法王のように扱われることを望む教授を私はこれまで何人か見てきた(まあ、最近は法王も良いことづくめではないようだが)。ポール・サミュエルソンにはそういう振る舞いは無かった。彼はくだけており、常に知的な遊び心に富んでいた――新しいアイディアや、他の人々の物の見方を常に試そうとしていた。
それと同じ精神が、彼の仕事を特徴づけ、また可能ならしめた、と私は思う。アイディアを弄ぶ、という表現を我々はするが、ポール・サミュエルソンはまさにそれを実行し、そのことが彼の著作に溢れ出ている。大きな知的喜びを感じ、それを他の皆と分け合いたくてたまらない、という感覚が、彼の優れた著作に抑えがたく表れている。世代重複モデルを導入した彼の最も影響力のある論文の一つは、わざともったいぶったタイトル――「An exact consumption-loan model of interest, with or without the contrivance of money*1」――から「Surely, no sentence beginning with the word ‘surely’ can validly contain a question mark at its end?」という文章で始まる脚注に至るまで、ユーモアに満ち溢れている。
私が思うに、以上の教訓は、世界を良くするアイディアを生み出すのに本当に相応しい人間は、大物ぶらない人間に限られる、ということではないか。ポール・サミュエルソンは大物ぶらず、世界を良くするアイディアを生み出した。我々は彼の死を悼む――しかし同時に、真に偉大かつ真に善良な男の人生を称賛しようではないか。

*1:「of interest」を「利子の」という意味と「興味深い」という意味で掛けていると思われる。