6/7エントリで紹介したコーエンのエントリを巡って、サムナーとMark Thomaの間に論争が巻き起こった。
きっかけは、コーエンが金融政策を財政政策より好むと書いたことについて、Thomaが次のように述べたことにある。
As for Tyler's (and others') call for monetary policy instead of fiscal policy, here's the problem. It relies upon changing expectations of future inflation (which changes the real interest rate). You have to get people to believe that the Fed will actually be willing to create inflation in the future when it comes time to do so. However, it's unlikely that it will be optimal for the Fed to cause inflation when the time comes. Because of that, the best policy is to promise that you'll create inflation, then renege on the promise when it comes time to follow through. Since people know that, and expect the Fed will not actually carry through, it's hard to get them to change their expectations now. All that credibility the Fed has built up and protected concerning their inflation fighting credentials works against them here.
Fiscal policy does not have these problems.
(拙訳)
タイラー(およびその他の人々)の財政政策よりも金融政策を求める声について言えば、以下のような問題がある。金融政策の効果は、将来のインフレに対する人々の期待の変化に依存している(それが実質金利の変化をもたらす)。将来の然るべき時期においてFRBが本当にインフレを創り出すと人々に信じてもらう必要がある。しかし、その然るべき時期が到来した際、FRBがインフレをもたらすことが最適政策になっているとは考えにくい。従って、最善の政策は、インフレを創り出すと約束し、それを実行する段階になってその約束を反故にすることである。人々はそのことを知っており、FRBが実際に政策をやり抜くことは無いと考えるため、現在の期待を変化させるのは至難の業となる。インフレファイターとしてFRBが築き上げ守ってきた信頼性が、この場合は裏目に出てしまうわけだ。
財政政策にはこのような問題は無い。
これに対し、サムナーが概ね以下のような論理で反論した。
- 現在の政策の効果は、人々の将来の経済の総需要に対する期待によって定まる。
- 中央銀行は、将来の総需要を決定する力を持っている。
- もし中央銀行が将来の総需要の過熱を許容しないがために現在の金融政策が効果を持たないと言うならば、そのことは現在の財政政策の効果についても同様に当てはまるはずである。
なお、注意すべきは、サムナーは、以上から金融政策も財政政策も現在は無力だ、と主張しているわけではない点である。むしろその逆で、上記の箇条書きの第2項の通り、中央銀行は将来の経済の経路を決定する力を持っているので、金融政策ですべてが定まり、財政政策の出番は無い、というのが彼のかねてからの主張である。
このサムナーの反論に対しThomaは、Woodfordの論文を援用して、ゼロ金利下では財政乗数が高くなる半面、金融政策がそれを打ち消す効果は限られている、と再反論した。それに対しサムナーは、そのWoodfordも将来の金融政策に対する期待の方が現在の金融政策よりもはるかに重要だと述べている、として、上記の論理を堅持している。
ちなみにこの論争にはクルーグマンも参戦し、サムナーの考えをティンカーベル原理――「君は空を飛べる、ただし自分が空を飛べると信じた場合のみ」*1――と揶揄した。それに対しサムナーは、金融政策におけるティンカーベル原理を先に持ち出したのはThomaの方であり、しかもそれをそもそも開発したのはクルーグマンの1998年の論文ではないか、と指摘した。さらにサムナーは、クルーグマンはサムナーが展開した論理をきちんとフォローしていないのではないか、と批判した(…後でこの批判は半分冗談だ、と釈明したが)。