経済学や社会学で自己充足的予言というのは有名な概念である。本ブログでも最近ここやここで取り上げた。Wikipediaによると、そうした予言は古来から存在していたが、その用語自体を発明して社会学の概念として定着させたのは、ノーベル経済学賞を受賞したロバート・C・マートンの父、ロバート・K・マートンだとのことである(cf. ここで紹介した対談ではサマーズが当の息子を前にその話を持ち出している)。
小生はこの概念について学んだ時、学生時代に読んだレイ・ブラッドベリのある短編を想起した。ただ、その短編の題名は忘れていて、その後も特に思い出そうともせずに今日まで来てしまったのだが、先日ふと思い立って本屋でブラッドベリの短編集を取っ替え引っ替え見ていたところ、次の短編集に収録されているものであったことが分かった。
(以下ネタバレあり)
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そして、問題の短編は「火の柱(Pillar of Fire)」。
該当部分を引用してみる。
かつて昔は人々は家のまわりに風の音をきくと身ぶるいし、かつて人々は十字架や狼払いのまじないをかかげ、歩きまわる死人やこうもり、うろつく白い狼などの存在を信じた。彼らが信じている限りは、いつまでもその死人やこうもりやうろつく狼は存在した。そういう想像力が彼らを生み出し、現実感を与えたのだ。
しかし……
彼は白布をかぶった死体の群れをみやった。
これらの人々は信じなかったのだ。
彼らは一度も信じたことがなかったのだ。信じようにも信じられなかったのだ。死人が歩くなどということは想像もしたことがなかったのだ。死人とは炎の中で燃えつきてしまうものだった。彼らは一度も迷信を耳にしたことがなく、闇の中で身震いをしたり、疑惑に捕らえられたこともなかったのだ。死人がさまようなんてことはありえなかった――それは非論理的なことだからだ。ああ、何といっても、これは二三四九という年なのだ!
だからこそ、これらの人々は立ち上がれないのだ、再び立って歩けないのだ。彼らはまさに死んで、平べったく、冷たくなってしまっただけだ。チョークも、お祈りも、迷信も、彼らをふるい立たせ、歩かせることはできない。彼らは死んだのであり、自分が死んでいることを知っているのだ!
なお、あとがきによると、この短編は1948年に書かれたとのこと。これは、マートンの「Social Theory and Social Structure」の初版(1949年)とほぼ同時期である。
11/24で紹介したRoweの自己充足的予言の用法を上のブラッドベリの一節に適用すれば、「白布をかぶった死体の群れ」は日銀ということになる。彼らは金融政策でデフレを脱却できるなどとまったく信じていないので、いかにリフレ派や海外の学者が呪文を唱えても、「彼らをふるい立たせ、歩かせることはできない」わけだ。
また、財政破綻を論じる立場から見れば、「白布をかぶった死体の群れ」は国債投資家ということになるだろう。彼らは日本(あるいはこのクルーグマンのエントリでは米国)が本当に破綻するとは信じていないので、国債をおとなしく買い続ける。そこでハイパーインフレ論者が警告するのは、財政政策やリフレ策で本当に国家が破綻するかもしれない、と思った途端、この人たちはゾンビの群れとなって暴走し始め、誰にも止められなくなる、ということである。
(何だか妙な喩えになってしまったが、ブラッドベリを持ち出した時点でまともな喩えになるはずもない、ということでご勘弁。)