「経済を子守りしてみると。」再訪

クルーグマンのベビーシッター協同組合のエピソードを、およそ正反対の立場の経済学者がほぼ同時に取り上げた*1


一人はEconlogのデビッド・ヘンダーソンリバタリアンという立場から予想される通り、内容はクルーグマン批判で、協同組合が「不況」に陥った時にクーポン価格子守の価格が下落して問題が解決する可能性をクルーグマンが予め除外している、と指摘している*2 *3


もう一人は、オーストラリアの経済学者のビル・ミッチェル。本ブログでは7/19エントリで最初にその名前に言及したほか、7/21エントリではベビーシッター協同組合と対照させる形で彼による寓話を紹介した。それらを読んでいただければ分かるとおり、彼は筋金入りの財政政策至上主義者である。つまり、政府の役割に否定的なヘンダーソンらGMUのリバタリアン経済学者と正反対の位置にあるのみならず、主流派経済学の金融政策重視とも一線を画している(時には対決姿勢すら見せる)。その彼が、読者の求めに応じてブログでベビーシッター協同組合を解説したのが8/23エントリである。

そこでミッチェルは、クルーグマンの解説とスウィーニー夫妻の原論文の両方を参照しつつ、協同組合の顛末を解説している。その中で彼独自の主張が顕れた文章をピックアップしてみる(括弧内は拙訳)。

  • The final solution taken was to issue scrip to each member of the cooperative equal in value to 10 more hours of baby-sitting. Now, they were given thirty but still only had to pay back 20 if they left the system. While Sweeney and Sweeney call this solution a “resort to monetary policy” I see it more in terms of a fiscal injection, creating increased financial assets in the community of couples. Whatever, the solution worked.
    (最終的な解決策は、協同組合の各メンバーにクーポンをベビーシッター10時間分だけ多く発行することだった。これで彼らは30を得ることになるわけだが、組合を抜ける時に返すのは前と同じく20で良い。スウィーニー夫妻はこの解決策を「金融政策を持ち出した」と表現するが、私に言わせれば財政注入により近い。カップルのコミュニティに、より多くの金融資産を創り出したわけだ。いずれにせよ、その解決策はうまく行った)
  • So you should be able to see this as a simple model of a fiat currency system. The cooperative is the government sector representing the individuals in the non-government sector.
    (つまり、これは簡単な不換紙幣システムのモデルとして捉えることができる。協同組合は政府部門で、非政府部門の人々を代表している)
  • The only way the system was restored to its original functioning – that is, to provide baby-sitting so that people could enjoy some time away from their children was when the cooperative (government sector) created sufficient new financial assets in the non-government sector to match the desire of the couples in aggregate to save. In other words, the cooperative had to run a deficit (spend 30 and tax 20) overall to ensure there were sufficient net financial assets to close the spending gap and finance the non-government saving. At that point, employment rose and the system returned to its planned state.
    (システムが元の機能を回復したのは、すなわち、人々が暫く子供から離れて楽しむための子守をシステムが提供できたのは、協同組合[政府部門]がカップル全体の貯蓄願望に見合う新規の金融資産を非政府部門に創り出した時だった。言い換えれば、協同組合は財政赤字となり[30の支出に対し税金は20]、支出ギャップを埋め、非政府部門の貯蓄を賄うだけのネットの金融資産を確保し提供したわけだ。その時点で雇用が上昇し、システムは本来の状態に戻った)
  • Note that the cooperative might set up separate divisions – the treasury and central bank – but the currency dealt with by each would still come from the cooperative and transactions between either division and the non-government sector (the members) would both create or destroy new net financial assets in the non-government sector.
    (協同組合が独立した組織を設立し得ることに注意されたい。すなわち、財務省中央銀行だ。しかし、貨幣がどちらの組織から来るにせよ、協同組合から来ることに変わりは無い。非政府部門[組合メンバー]がいずれの組織と取引するにせよ、その取引は非政府部門において新たにネットの金融資産を創造もしくは破壊する)
  • ...In this situation, monetary policy (interest rate manipulation) becomes a totally ineffective policy instrument – economists have termed this state a “liquidity trap”. No-one wants to spend and everyone wants to save but cannot find sufficient employment opportunities to achieve those desires. The whole system sinks into a mire. The only solution is for fiscal policy (issuing of more scrips) to fund that increasing saving desire to allow employment to return to desired levels.
    (この状況では、金融政策[金利操作]は政策手段として完全に無効となる。経済学者はこの状態を「流動性の罠」と名付けた。誰も支出したがらず、皆が貯蓄したがるが、その願望を満たす十分な雇用機会を見つけることができない。システム全体がぬかるみにはまる。唯一の解決策は、財政政策[クーポンをより多く発行する]で増大した貯蓄願望を満たし、それによって雇用が望ましい水準に戻れるようにすることである)
  • I also note that Japan struggled continually with deflation in the 1990s and it was only when fiscal policy entered the fray in the form of rising deficits that output started to recover.
    (日本は1990年代にデフレと絶えず苦闘したが、財政政策が赤字増大という形でその争いに加わった時にだけ産出が回復したことも指摘しておこう)


ミッチェルはまた、上記のヘンダーソンの考えも取り上げ、以下のように批判している。

  • その議論はケインズへの反論として新古典派が持ち出したものだ。ケインズは自分の結論が一般的なもの(雇用が有効需要の関数である)と述べ、貨幣賃金が固定されているという仮定(ケインズによればそれは実際に起きていることであり、それ自身の正の効果がある)には依存しないと主張した。
  • ケインズは、貨幣賃金が下落したとしても、(単位コストが下落して競争原理が働くので)それに比例して物価も下落し、実質賃金は変わらない(もしくはほぼ変わらない)、と述べた。
  • 新古典派ピグー)は、それはそうかもしれないが、低い物価そのものが実質残高効果を生み出し、富を所有するものが実質ベースでますます富むので、支出が開始されるだろう、と反論した。
  • 問題は、通常の物価の下落幅ではそのピグー効果が小さいことにある。
  • それに、不況期に賃金をカットすることは、貯蓄願望を減らす場合にのみ意味がある。その命題を支持した研究は未だ存在しない。従って、賃金カットは名目価格で契約する人々の生活水準を下げるだけで、雇用増には貢献しない。貯蓄は、減少するか、財政赤字で賄われるかのいずれかしかない。

*1:以下ではその内容を前提として話を進めるので、内容を良くご存じない方はまずリンク先を読まれたい。

*2:ただ、実際にそうした批判を繰り広げたのは5/18エントリ、およびそこで引用した1999年当時の「The Return of Depression Economics」書評で、直近の8/22エントリはそれらへの訂正記事という体裁を取っている(クルーグマンが同書で価格下落の可能性について書いていないと指摘したが、実際には別のページで触れていたとの由)。

*3:8/25追記:Cruさんのコメントで、ヘンダーソンの考えでは下落する価格はクーポンのではなく子守のそれでなくてはおかしいことに気付いたので修正。なお、ヘンダーソンが訂正記事を出すきっかけになった(と思われる)コメントはこちらで、それを書いたKevin Donoghueは、クルーグマンが価格下落の可能性に関する記述を当初の米国版では省いたが、英国版では入れたことを非難交じりに指摘している。彼の引用する該当の記述は次の通り。"In the story of the depressed baby-sitting co-op, one way the situation could have resolved itself would have been for the price of an hour of baby-sitting in terms of coupons to fall, so that the purchasing power of the existing supply of coupons would have risen, and the co-op would have returned to 'full employment' without any action by its management."