スクルージは福祉国家主義者だった?

今年のクリスマスの時期には、ディケンズクリスマス・キャロルスクルージが各所で言及されていたが、その中で個人的に面白かったのは、Econlogのデビッド・ヘンダーソンクルーグマン批判であった。


ヘンダーソンの批判の対象となったのはクルーグマン12/23NYT論説で、そこでクルーグマンは、路上で*1寄付を求められた時に「監獄は無いのか?」と応えたスクルージを反福祉国家主義者として捉えている。


それに対しヘンダーソンは、実際のクリスマス・キャロルの該当の会話を続きを含めて引用している*2

「監獄はないのですかね」と、スクルージは訊ねた。
「監獄はいくらもありますよ」と、紳士は再びペンを下に置きながら云った。
「そして共立救貧院は?」とスクルージは畳みかけて訊いた。「あれは今でもやっていますか。」
「やって居ります、今でも」と、紳士は返答した。「やっていないと申上げられると好う御座いますがね。」
「踏み車や救貧法も十分に活用されていますか。」
「両方とも盛に活動していますよ。」
「おお! 私はまた貴方が最初に云われた言葉から見て、何かそう云う物の有益な運転を阻害するような事が起こったのではないかと心配しましたよ」と、スクルージは云った。「それを伺ってすっかり安心しました。」

この後にスクルージは寄付を断るわけだが、ヘンダーソンに言わせれば、彼は上記のやり取りで福祉国家がきちんと機能しているのを確認したからこそ個人的な寄付を断ったのであって、それはまさに彼が福祉国家主義者だったことを物語っている、とのことである。


従って、改心後のスクルージは、別に福祉国家主義者に転じた訳ではないし、これからは富裕層に高い税金を課す政治家を支持しよう、と決意したわけでもない。彼はこれからは個人的に寛大な寄付をしよう、と決意したのであって、その点でクルーグマンの見方は的外れである、というのがヘンダーソンの主張である。


なお、ヘンダーソンのこのEconlogエントリは、基本的に彼の3年前の論説を改めて今回のクルーグマンのNYT論説に適用したものである。マンキューは、「Economists on Ebenezer Scrooge(経済学者の見たエベネザー・スクルージ)」と題した12/24エントリで両論説にリンクしている*3

*1:2010/12/28修正:なぜか道すがらの話と思い込んでいたが、実際にはスクルージの事務所での話だった。

*2:ここでは青空文庫森田草平訳から対応部分を引用した。

*3:それ以外に、スクルージの吝嗇は他の人の消費機会を増やす、と論じたスティーブン・ランズバーグのSlate論説(例によってランズバーグは需要不足の可能性を一切考慮していない)と、贈り物の無駄を指摘したJoel Waldfogelの「Scroogenomics: Why You Shouldn't Buy Presents for the Holidays」(マンキューがリンクしたのはプリンストンの出版サイト;同書は日本語では経済学101ブログの昨年10/18エントリで紹介されている)にリンクしている。