ガイトナー・プラン=コトリコフ、サックス、カバレロ、スペンスの見方

今月上旬、FTのエコノミストフォーラムというサイトで、表題の経済学者によるガイトナー・プランに関する一連の投稿があったので、簡単に紹介してみる。


最初の投稿は4/6のコトリコフとサックスの連名によるもの。「ガイトナー・サマーズ・プランはあなたが思っているより悪い」と題し、銀行によって政府=納税者がカモられる恐れがあることを指摘している。内容的には、ここで軽く触れたサックス単独の記事とほぼ同じで、数値例を使い、ガイトナー・プランを通じて銀行が利益を上げる可能性を示している*1。彼らは、このように筋が良くないガイトナー・プランは破棄すべき、と主張する。対案として彼らが推奨するのは、バッドバンク構想である。また、長期的には、コトリコフの持論であるLimited Purpose Banking(マンキューに言わせれば、一種のナローバンク)を構築すべき、とも述べている。
この論説に対し、カバレロがコメント欄で次のように批判している。

This is accounting not economics. It is not the latter because it does not describe the problem that the policy intends to solve. But without a clear statement of this problem, the analysis is empty. We all can calculate transfers, the issue is whether the particular transfer has significant benefits for the economy at large. This article, and many of the underlying articles, take a zero-sum, pure transfer, perspective: if Wall Street gets something, it must be bad for the taxpayers.
But financial crises are not zero-sum times. Quite the opposite, there are enormous synergies and multipliers from allocating the marginal dollar to the most constrained sector.

(拙訳)これは会計であり経済学ではない。経済学になっていないのは、政策が解決しようとしている問題を取り上げていないからだ。その問題を明らかにしない限り、上記の分析は無意味である。利益移転は誰でも計算できるが、問題なのは、その利益移転が経済全体に重要な恩恵をもたらすかどうかなのだ。この記事は、他の関連記事と同様、ゼロサムという純粋な移転を仮定している。ウォールストリートが利益を得たら、納税者にとって損に違いない、というわけだ。しかし金融危機の時期はゼロサムではない。その正反対で、限界的なドルを最も制約された部門に割り当てることによるシナジー効果乗数効果が非常に大きな時期なのだ。

このカバレロの立場は、ここで紹介したものから一貫している。
ただ、このカバレロの見解についてはロジャー・ファーマーが同じコメント欄で反論を寄せ、銀行は本当に資金制約部門なのか、と疑問を呈している。問題なのは流動性ではなく、実物資産が低い値付けしかされないことであり、その低い値付けは実体経済への悲観論からきている。そうするとその悲観論が自己実現的な要素を帯びてしまう、それこそが問題なのだ、というのがファーマーの指摘である。そして、コトリコフ=サックスのガイトナー・プラン批判を支持し、銀行への補助金は、たとえば自動車業界に比べ不公平感を募らせることになるので、例えば銀行株のインデックスを買い支える方法の方が良いのではないか、と持説を改めて展開している。


バレロは翌4/7のエコノミストフォーラム投稿で、ガイトナー・プランへの支持を改めて表明している。ここで彼は、銀行が資産買取側に回ることをむしろ良いこと、と推奨している。というのは、これは銀行への資本注入と資産買取の良いとこ取りになるからである。
バレロによれば、政府の資本の直接注入の利点は、外部の投資家に利益を分け与えることなく、銀行に保証を提供することにある。ガイトナー・プランの利点は、外部の投資家の力を借りて資産の適正価格を評価することにある。しかし、銀行の資産を評価するに当たり、同業の銀行以上に適切な存在があるだろうか? そう考えると、銀行がコンソシアムを組んで資産買取に乗り出すという(まさにコトリコフ=サックスが批判した)動きは、莫大な手数料が外部に漏出するのを防ぎ、かつ政府保証を確保する、という点で実は望ましいことなのだ、とカバレロは評価する。
バレロは最後に「“本当に”必要なのは政治の脊髄反射的な反発を抑えることだけなのだ」と述べている。とはいえ、ファーマーが指摘するように、それこそが最大の問題だろう。人々の心理に鑑みた場合、ブラインダーのいわゆる危機克服のためのコラテラル・ダメージとして、窮乏に瀕する人が大勢現れることはまだ我慢できても、そもそも危機をもたらした銀行家がますます富むことは容認できないだろうからだ。


一方、同日4/7のエコノミストフォーラム投稿で、マイケル・スペンスはまた違った観点からコトリコフ=サックス論説を批判している。
彼の主張のポイントは、ノンリコースローンの比率はあくまでも最大6/7ということで、政府がリスクが高いと思ったらその割合を低めれば良いのではないか、ということである。買取資産のボラティリティが高ければプットオプションの価値、すなわち納税者の損失の可能性も高まるので*2、その場合は政府はローンの提供を引っ込め、ボラティリティが低いかもしくは中程度の資産の買取にだけローンを付ければ良い、と彼は提案する。
これ対し、このエコノミストフォーラムの主宰者であるマーティン・ウルフと、(コトリコフ=サックス論説で彼らの援軍として名前が挙げられた)オックスフォード大学のペイトン・ヤングが、コメント欄で相次いで同様の疑問を呈した。即ち、政府はどうやってリスクの高い資産と低い資産を見分けるのか、そもそもその能力があれば外部の投資家を呼び込んで価格発見させる必要はないではないか、という疑問である。スペンスは長いコメントを書いてこれに応えているが、その大部分はガイトナー・プランを巡る彼の考えを追加的につらつら書き連ねたもので、彼らの疑問に対する直接の回答は、投資家とはまた独立した別の民間の専門家を呼び込めばよい、というある意味ごく単純で平凡なものである。なお、スペンスは、このガイトナー・プランが銀行への隠れた資本注入という見方に否定的であり、その点ではカバレロとも意見を異にしている。

*1:ただし、その数値計算が間違っていることをNYUのアラン・ソーカルソーカル事件ソーカルと思われる)に指摘されたとしてコメント欄でコトリコフが訂正している(その訂正でもmillionをbillionと一部誤記している)。簡単に彼らの数値例を紹介しておくと以下の通り。
額面10億ドルの資産が80%の確率で2億ドル、20%の確率で10億ドルになるとすると、市場価格は2*0.8+10*0.2=3.6億ドル。ファンドのブレークイーブン買取価格は(ここで導出した公式にP1=10億ドル、p1=0.2、α=1/7を当てはめて)6.36億ドル。6.36-3.6=2.76億ドルが財務省(正確にはFDIC)の期待損失で、銀行がその分得をすることになる。さらにファンドが額面10億ドルまで買取価格を吊り上げると、(ここで導出した式にR=(10-6.36)億ドル、β=0.5を当てはめて)ファンドの期待損失は0.57億ドル。ファンドが銀行の別働隊という共謀が組まれていたとすると、結局銀行は10-3.6-0.57=5.83億ドルの利益を得ることになる(しかも元の資産は手元に残る)。対する財務省の期待損失は0.57億ドルで、FDICの期待損失は2.76億ドルに価格吊り上げによる2.49億ドルが加えられて5.25億ドル。

*2:cf. このエントリ